うのは十年ばかり前まで田村さんが代々住んでおられた内久宝寺町の古い町名で、田村さんのお屋敷は代官の金蔵があった跡である。
 この地蔵さんは矩形の石に浮彫をしたもので、底が平らでないから、そのままでは佇立できず、あとから土台石をつけたものらしく、恐らく土中に埋《うず》めていたものを発掘して、鈴木町の田村邸に安置され、のち田村さんと共に○○町へ移ったものであろう。聖徳太子作で想い出すのは、六万体地蔵のことで、天王寺の××町の真光院にやはり聖徳太子作の地蔵さんが二体あり、これは聖徳太子が六万体の石像をお刻みになって、天王寺を中心とする地の中へ埋められたのを発掘したものであり、田村さんの地蔵さんと同じ浮彫である所を見ると、恐らく田村さんの地蔵も六万体地蔵の一つであろう。
 ともかく、この地蔵さんは火除地蔵とされて来たのだが、空襲の際田村さんのお邸は隣の家まで火が来たのに焼けず、無論地蔵さんも助かったのである。この地蔵さんは浮彫のせいか、目鼻立ちが明瞭でなく、ためにその表情はさまざまに変化して見えるのだが、空襲の夜、隣家まで火が来た時、地蔵さんの表情は急に怒っているように見えたと、田村さんの令嬢
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