な鰻の寝間《ねま》(床《とこ》)みたいな小っちゃいアバラ屋でっけど、また寄っとくなはれや」
 と言った。
 他アやんと別れ、やがて千日前の大阪劇場の前まで来た。空襲のあった二、三日後、ここの支配人から聴いた話によれば、空襲の夜が明けると間もなく、一人の従業員が支配人の所へ来て、大阪劇場の従業員の中で罹災した者があれば、これを渡してくれと言って差し出したのは、二百円の見舞金であったということである。その金額はその従業員の月給の額をはるかに超えていた。支配人は感激して君の方は無事だったのかと訊くと、
「いやうちも焼かれました」と言ったという。
 この話を想い出しながら、劇場の前を過ぎた途端、名前を呼ばれた。振り向くと、三ちゃんであった。三ちゃんは波屋書店の主人で、私が中学生時代からずっと帳付けで新刊書を買うていたのは三ちゃんの店であったし、三ちゃんもまた私の新しい著書が出ると、随分いい場所に陳列して売ってくれていたし、三ちゃんの店が焼けたことは感慨深いものがあり、だから、顔を見るなり、挨拶もそこそこにその事を言った。
「あんた所が焼けたので、雑誌が手にはいらんようになったよ」
 すると三ち
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