作ろうと申し出たということであり、準備が出来次第新しい旗上げ興行を行うというこの記事ほど、時宜に適った新聞記事を最近私は読んだことがない。輿論指導の下手糞な近頃の新聞としては、書きも書いたりと思われた。早い話が、この記事を読んだ大阪の人びとは、何ものにもへこたれない大阪人の粘り強さというものに改めてわが意を強うしたであろうし、また、散っても散っても季節が来れば咲くという文化の花の命永さに、今年の春をはじめて感ずる思いを抱いたことであろうし、ひいては大阪の復興に自信が持てたことであろうし、あれこれ思い合せるとまことに「春は文楽復活の記事に乗って」大阪へ来たかの感があった。ともあれ、私は何がなし嬉しく、いそいそとした気持でその日大阪へ出掛け、他アやんを見舞ったのである。
実のところ、他アやんはもうどっかへ疎開していて、会えないだろうと私は諦めていた。ところが、行ってみると、他アやんは家族の人たちと一緒にせっせと焼跡を掘りだしていて、私の顔を見るなり、
「よう、織田はん、よう来とくなはった。見とくなはれ、ボロクソに焼けてしまいました。さっぱり、ワヤだすわ」
と言ったが、他アやんはべつに「
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