く、私|夢《ゆめ》を見てたのかしらと言いながら起《た》ち上ると、裾をかき合せて出て行った。寺田はその後姿を見送る元気もなく、自責の想いにしょげかえっていたが、しかしふとあの男のことを想うと、わずかに自尊心の満足はあった。
 翌日、小倉競馬場の初日が開かれた。朝からスリ続けていた寺田は、スレばスルほど昂奮して行った。最後の古呼《ふるよび》特ハン競走《レース》で、寺田はあり金全部を1のハマザクラ号に賭けた。これを外してしまえば、もう帰りの旅費もない。
 ぱっと発馬機がはね上った。途端に寺田は真蒼になった。内枠のハマザクラ号は二馬身出遅れたのだ。駄目《だめ》だと寺田はくわえていた煙草《たばこ》を投げ捨てると、スタンドを降りて、ゴール前の柵《さく》の方へ寄って行った。もう柵により掛らねば立っておれないくらい、がっくりと力が抜けていたのだ。向う正面の坂を、一頭だけ取り残されたように登って行く白地に紫の波型入りのハマザクラを見ると、寺田の表情はますます歪《ゆが》んで行った。出遅れた距離を詰めようともせず、馬群から離れて随《つ》いて行くのは、もう勝負を投げてしまったのだろうか。ハマザクラはもう駄目だ
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