だった。
 第九の四歳馬特別|競走《レース》では、1のホワイトステーツ号が大きく出遅れて勝負を投げてしまったが、次の新抽《しんちゅう》優勝競走では寺田の買ったラッキーカップ号が二着馬を三馬身引離して、五番人気で百六十円の大穴だった。寺田はむしろ悲痛な顔をしながら、配当を受取りに行くと、窓口で配当を貰っていたジャンパーの男が振り向いてにやりと笑った。皮膚の色が女のように白く、凄《すご》いほどの美貌《びぼう》のその顔に見覚えがある。穴を当てる名人なのか、寺田は朝から三度もその窓口で顔を合せていたのだ。大穴の時は配当を取りに来る人もまばらで、すぐ顔見知りになる。やあ、よく取りますね、この次は何ですかと、寺田はその気もなくお世辞で訊いた。すると、男はもう馬券を買っていて、二つに畳《たた》んでいたのを開いて見せた。1だった。寺田はどきんとして、なにかニュースでもと問い掛けると、いや僕は番号主義で、一番一点張りですよ。そう言ったかと思うと、すっとスタンドの方へ出て行った。
 その競走《レース》は七番の本命の馬があっけなく楽勝した。そしてそれが淀の最終|競走《レース》であった。寺田は何か後味が悪く、やがて競馬が小倉《こくら》に移ると、1の番号をもう一度追いたい気持にかられて九州へ発《た》った。汽車の中で小倉の宿は満員らしいと聴いたので、別府《べっぷ》の温泉宿に泊《とま》り、そこから毎朝一番の汽車で小倉通いをすることにした。夜、宿へつくとくたくたに疲《つか》れていたので、寺田は女中にアルコールを貰ってメタボリンを注射した。一代が死んだ当座寺田は一代の想い出と嫉妬に悩《なや》まされて、眠れぬ夜が続いた。ある夜ふとロンパンの使い残りがあったことを想い出した。寺田は不眠の辛《つら》さに堪えかねて、ついぞ注射をしたことのない自分の腕へこわごわロンパンを打ってみると、簡単に眠れた。が、眠れたことより、あれほど怖れていた注射が自分で出来て、しかも針の痛さも案外すくなかったことの方がうれしく、その後|脚気《かっけ》になった時もメタボリンを打って自分で癒《なお》してしまった。そしてそれからは注射がもう趣味《しゅみ》同然になって、注射液を買い漁《あさ》る金だけは不思議に惜しいと思わず、寺田の鞄《かばん》の中には素人《しろうと》にはめずらしい位さまざまなアンプルがはいっていたのだ。注射が済んで浴室へ行った時、寺田はおやっと思った。淀で見たジャンパーの男が湯槽《ゆぶね》に浸《つか》っているではないか。やあと寄って行くと、向うでも気づいて、よう、来ましたね、小倉へ……と起そうとしたその背中を見た途端、寺田は思わず眼を瞠《みは》った。女の肌のように白い背中には、一という字の刺青《いれずみ》が施《ほどこ》されているのだ。一――1――一代。もしかしたらこの男があの「競馬の男」ではないか、一の字の刺青は一代の名の一字を取ったのではないかと、咄嗟《とっさ》の想いに寺田は蒼ざめて、その刺青は……ともうたしなみも忘れていた。これですかと男はいやな顔もせず笑って、こりゃ僕の荷物ですよ、「胸に一物、背中に荷物」というが、僕の荷物は背中に一文字でね。十七の年からもう二十年背負っているが、これで案外重荷でねと、冗談口の達者な男だった。十七の歳から……? と驚くと、僕も中学校へ三年まで行った男だが……と語りだしたのは、こうだった。
 生まれつき肌が白いし、自分から言うのはおかしいが、まア美少年の方だったので、中学生の頃から誘惑《ゆうわく》が多くて、十七の歳女専の生徒から口説《くど》かれて、とうとうその生徒を妊娠させたので、学校は放校処分になり、家からも勘当された。木賃宿を泊り歩いているうちに周旋屋《しゅうせんや》にひっ掛って、炭坑《たんこう》へ行ったところ、あらくれの抗夫達がこいつ女みてえな肌をしやがってと、半分は稚児《ちご》苛《いじ》めの気持と、半分は羨望《せんぼう》から無理矢理背中に刺青をされた。一の字を彫《ほ》りつけられたのは、抗夫長屋ではやっていた、オイチョカブ賭博《とばく》の、一《インケツ》、二《ニゾ》、三《サンタ》、四《シスン》、五《ゴケ》、六《ロッポー》、七《ナキネ》、八《オイチョ》、九《カブ》のうち、この札《ふだ》を引けば負けと決っている一《インケツ》の意味らしかった。刺青をされて間もなく炭坑を逃げ出すと、故郷の京都へ舞《ま》い戻り、あちこち奉公《ほうこう》したが、英語の読める丁稚《でっち》と重宝《ちょうほう》がられるのははじめの十日ばかりで、背中の刺青がわかって、たちまち追い出されてみれば、もう刺青を背負って生きて行く道は、背中に物を言わす不良生活しかない。インケツの松《まつ》と名乗って京極《きょうごく》や千本の盛《さか》り場《ば》を荒しているうちに、だんだんに顔が売れ、
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