注ぎ込み、印刷屋への払いも馬券に変り、ノミ屋へ取られて行った。つねに明日の希望があるところが競馬のありがたさだと言っていた作家も、六日目にはもう印税や稿料の前借がきかなくなったのか、とうとう姿を見せなかった。が、寺田だけは高利貸の金を借りてやって来た。七日目はセルの着物に下駄《げた》ばきで来た。洋服を質入れしたのだ。

 そして八日目の今日は淀の最終日であった。これだけは手離《てばな》すまいと思っていた一代のかたみの着物を質に入れて来たのだ。質屋の暖簾《のれん》をくぐって出た時は、もう寺田は一代の想いを殺してしまった気持だった。そして、今日この金をスッてしまえば、自分もまた一代の想いと一緒に死ぬほかはないと、しょんぼり競馬場へはいった途端、どんより曇った空のように暗い寺田の頭にまず閃《ひらめ》いたのは殺してしまったはずの一代の想いであった。女よりもスリルがあるという競馬の魅力に惹かれて来たという気持でもなかった。この最後の一日で取り戻さねば破滅《はめつ》だという気持でもなかった。一代の想いと共に来たのだということよりほかに、もう何も考えられなかった。そしてその想いの激しさは久しぶりに甦《よみがえ》った嫉妬の激しさであろうか、放心したような寺田の表情の中で、眼だけは挑みかかるようにギラついていた。
 だから、今日の寺田は一代の一の字をねらって、1の番号ばかし執拗《しつよう》に追い続けていた。その馬がどんな馬であろうと頓着《とんちゃく》せず、勝負にならぬような駄馬《バテ》であればあるほど、自虐《じぎゃく》めいた快感があった。ところが、その日は不思議に1の番号の馬が大穴になった。内枠《うちわく》だから有利だとしたり気にいってみても追っつかぬ位で、さすがの人々も今日は一番がはいるぞと気づいたが、しかしもうそろそろ風向きが変る頃だと、わざと一番を敬遠したくなる競馬心理を嘲笑《ちょうしょう》するように、やはり単で来て、本命のくせに人気が割れたのか意外な好配当をつけたりする。寺田ははじめのうち有頂天《うちょうてん》になって、来た、来た! と飛び上り、まさかと思って諦めていた時など、思わず万歳と叫ぶくらいだったが、もう第八|競走《レース》までに五つも単勝を取ってしまうと、不気味になって来て、いつか重苦しい気持に沈んで行った。すると、あの見知らぬ競馬の男への嫉妬がすっと頭をかすめるの
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