一万九千円を抱いて、うろうろ狼狽するほどの喜び方だった。「渋い顔」なぞと書いているが、違う。あれは言葉の綾《あや》で、他の時は知らず、この時ばかりは、お前の渋い顔なぞいっぺんも見たことはない。
序でに言って置くが、この「渋い顔」という言葉に限らず、少なくともこのあたり「真相をあばく」の筆者は重大な手落ちをやっている。この支店長募集をすべてお前の頭からひねり出したように書いているが、また、そうして置く方が、お前の真相をあばく効果を強めることにもなるわけだろうが、むろんここへはおれの名を書きそえるところだった。いや、もっと正確を期するなら、一切合財おれが下図を描いたものとすべきだった。
そんな手落ちはあったが、その代り(といってはおかしいが)それに続く一節は、筆者の脚色力はさきの事実の見落しを補って余りあるほど逞しく、筆勢もにわかに鋭い。
――口に蜜ある者は腹に剣を蔵する。一人分八百円ずつ、取るものは取ったが、しかし、果して新聞の広告文通り約束を実行したかどうか。
なるほど、最初の一月は一提の薬と、固定給四十円を交付したが、その後は口実を構えて補給薬も固定給も送らない。家賃、電灯代
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