なかった証拠には、……ここらあたり、「真相をあばく」も存外誤植がすくない故、手間を略《はぶ》いて、そのまま借用させてもらうと、――
ある日、玉造で拾った客を寺町の無量寺まで送って行くと、門の入口に二列に人が並んでいた。ひょいと中を覗くと、それが本堂まで続いていたので、何と派手な葬式だが、いったいどこの何家の葬式かと、訊いてみると、
「――阿呆らしい。葬式とちがいまっせ。今日はあんた、灸《きゅう》の日だんがな」
と、嗤《わら》われた。が、丹造は苦笑もせず、そして、だんだん訊くと、二《フ》、三《ミ》、四《ヨ》、六《ム》、七《ナ》の日が灸の日で、この日は無量寺の紋日だっせ、なんし、ここの灸と来たら……途端に想いだしたのは、当時丹造が住んでいた高津四番丁の飴屋《あめや》の路地のはいり口に、ひっそりひとり二階借りしていたおかね婆さんのことだ。
名前はおかねだが、彼女はおから以外の食物を買うて帰ったためしがないというくらい、貧乏していた。界隈の娘に安い月謝で三味線を教えてくらしていたがきこえて来るのは、年中、「高い山から谷底見れば」ばかり、つまりは、弟子が永続きしないのだった。それというの
前へ
次へ
全63ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング