では真似の出来ない神経なのだ。図太いというのもちょっと違う。つまりは、一種気が小さい方かも知れない。ともかく、滑稽《こっけい》だった。勿論おれはそんな請求には応じなかった。黙って放って置くと、それきりお前はうんともすんとも言って来なかった。

       三

 船場新聞を廃刊してしまうと、お前はすっかり文無しで、たちまち暮しに困った。どうするかと見ていると、お千鶴は家で手内職、お前はもと通り俥をひいて出て、まるで新派劇の舞台が廻ったみたいだった。
 当時、安堂寺橋に巡航船の乗場があり、日本橋まで乗せて二銭五厘で客を呼んでいたが、お前はその乗場に頑張って、巡航船へ乗る客を、俥の方へ横取りしようと、金切声で呶鳴っていた。巡航船に赤い旗がついているのを見て、お前も薄汚れた俥にそれと似た旗をつけて、景気をつけたものの、客は正直で、同じ二銭五厘で乗る分にはと、やはり速い巡航船の方をえらんだ……とわかった途端に、お前は流しの方へ逆戻った。が、何分取締りがきびしくて、朦朧《もうろう》も許されず、浮かぬ顔をして、一里八銭見当の俥を走らせていたらしかったが、さすがにいつまでもそんなことをしている気の
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