、世渡りのたしにも、……ことに今になっては……ならぬ故、どうでもよいことだが、しかし、まあ誤謬《ごびゅう》だけは正して置こう。実は、おれは中等学校へは二三年通ったことはあるが、それ以上の学問は、少なくとも学校と名のつくところでは、やらなかった。当のおれが言うのだから、間違いはなかるまい。
 いや、そんなことは、どうでもよい。それよりも、「丹造今日の大を成すに与って……」云々と、ちゃんとおれの力を認めている点、これが問題だ。いま引いた文章にも書いてある通り、おれとお前の関係はこの船場新聞にはじまって以後いわば蔭になり日向《ひなた》になり、おれはお前を助けて来たのだ。早い話が、この時もしおれが居なければ、あの新聞は四号で潰《つぶ》れていたところだ。当時お前も、
「――古座谷さん、この恩は一生忘れませんぞ」
 と、呶鳴《どな》るように言っていたくらい、随分尽してやったものだ。印刷は無論ただ同然で引き受けてやったし、記事もおれが昔取った杵柄《きねづか》で書いてやった。なお「蘆のめばえ咲分娘」と題して、船場娘の美人投票を募集するなど、変なことを考えついたのも、おれだった。これは随分当って、新聞は
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