好《ぶかっこう》な丸薬を揉《も》みだした。
 そして、肺病とはこんな大きな玉を頬ばらねばならぬものかと、患者が迷惑するだろうなどとは考えず、如何にすればこれが売れるだろうかと、ただもうそればかり頭をひねった。薬の原価代を払ったあと、殆んど無一文の状態で、今日つくった丸薬を今日売らねば、食うに困るというありさまだった。
 新聞広告代など財布を叩き破っても出るわけはなく、看板をあげるにもチラシを印刷するにもまったく金の出どころはない。万策つきて考え出したのが手刷りだ。
 辛うじて木版と半紙を算段して、五十枚か百枚ずつ竹の皮でこすっては、チラシを手刷りした。が、人夫を雇う金もない。已むなく自ら出向いて、御霊神社あたりの繁華な場所に立って一枚一枚通行人に配った。そして、いちはやく馳《は》せ戻り、店に坐って、客の来るのを待ち受けるのだった。しかし、たいして繁昌《はや》りもしなかった……。

 繁昌らぬのも道理だ。家伝薬だというわけではなし、名前が通っているというわけでもなし、正直なところ効くか効かぬかわからぬような素人手製の丸薬を、裏長屋同然の場所で売っていて誰が買いに来るものか。
 無論、お前もそのことは百も承知してか、ともかく宣伝が第一だと、嘘八百の文句を並べたチラシを配るなど、まあ勢一杯に努めていたというわけだが、そのチラシ自体がわるかった。
 おれもお前に貰って、見たが、版がわるい上に、紙も子供の手習いにも使えぬ粗末なもので、むろん黒の一色刷り、浪花節《なにわぶし》の寄席の広告《ひろめ》でも、もう少し気の利いたのを使うと思われるような代物だった。余程熱心に読まねば判読しがたい、という点も勘定に入れて、全くのところ、まるで薬の信用をみずから落しているのも同然だった。
 おまけに、丸薬をしかるべく包装するわけでもなく、夜店で売る「一つまけとけ」の飴玉みたいに、白い菓子袋に入れて、……それでは売れぬのも無理はなかった。
 そんな情けない状態ゆえ、その時お前がおれに出会ったのは、いわば地獄に仏全くお前にとっては、運の神だといってもよいくらいだった。
 知っての通り、まずおれはお手のものの活版で、二色刷りの凝ったチラシをつくってやった。次に包装だ。箱など当時としては随分思いきったハイカラな意匠で体裁だけでいえば、どこの薬にもひけをとらぬ斬新なものだった。なお、大阪市内だけだが、新聞に三行広告も出してやった。
 無論、全部おれが身銭を切ってしてやったことで、なるほどあとでの返しはそれ相当に受け取りはしたが、当時はなにもそれを当てにしていたわけではない。簡単にいえば親切ずく、――あとで儲けを山分けなどというけちな根性からではさらになかった。
 何ごとも算盤《そろばん》ずくめのお前には、そんなおれの親切が腑に落ちかねて、済みません、済みません、一生恩に着ますなんて、泪をこぼさんばかりにしながらも、内心は、こいつどこまで親切な奴だろうと、いくらか呆れていたろう。いや、それに違いあるまい。全くの話、おれ自身にしても、なぜそんなに親切にしてやったのか、はっきりとは判らなかったくらいだ。
 朝鮮の花街に残して来たというお千鶴のことをきけば、どうにも不憫《ふびん》で、ここでお前に一儲けさせてやれば、お前もお千鶴を迎えに行くだろう――という気持は無論あった。が、何度も言うようだが、それだけの気持からではない。俗に惚《ほ》れこむというあの気持だった。いや、そういえば、たしかにお前にはひとに惚れこませるだけのものはあった。少なくとも、おれのような人間に……。
 例えば、お抱え車夫からいきなり新聞を経営するなど、既にただの人間ではない――と思っていたところ、果して施灸《せきゅう》巡業を思いついたり、どこかへ姿をくらましてしまったと思っていると、いつの間にか、九尺二間の店ながら、製薬の本舗に収まっている。ちょっと、普通の人間に出来る芸当ではないと、その図々しいといおうか。逞《たくま》しいといおうか、人並みはずれた実行力におれは惚れこんだのだ。
 それに、貧相な面ながら、けいけいたる光を放っているあの眼、ただ世渡りをする男ではないと、おれには興味ふかい眼付きだった。むざむざ見捨てるには惜しい男だと、見込んだのだ。ちっぽけな怒りはすべて忘れて……。
 昔、政党がさかんだった頃、自身は閣僚になる意志はてんで無く、ただ、誰かこいつと見込んだ男を大臣にするために、しきりに権謀術策をもちい、暗中飛躍をした男がいたが、良い例ではないけれども、まず、おれの気持もそんなとこだったろうか。
 もっとも、チラシや包装がそれだとは言わぬ。敢えてその権謀術策を挙げよというなら、間もなくおれが智慧をしぼって考えだした支店長募集など、そのひとつだろう。例によって「真相をあばく」を引用しよう。

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