受けたる者二百円、普通百円の割にて報酬を与える旨、通告した。……

 これだけ、引けば、良いだろう。これだけでも十分、八百長さ加減はわかる筈だ。詳しく知りたければ「真相をあばく」の百六十四頁から百七十五頁までを見てもらおう。十一頁にわたり、支店や直営店がいかに巧妙に全快写真を探しあつめたかを、御丁寧に統計まであげて、素っ破ぬいている。
 なお、同書百七十六頁から百七十九頁までには、全快写真の主が日ならずして、死んだとか、とくに死んでいる筈の病人が、どういう手落ちでか、百ヵ日当日の新聞広告の写真の上に生きかえって、おかげで全快してこんな嬉しいことはない云々と喋《しゃべ》っているとか、些かユーモア味のある素っ破抜きをしてあるが、まさか、そんなことはなかったろう。よしんば、あったにしたところで、人の命というものは、明日をも知れぬもの、どうにでも弁解はつく、そう執拗《しつよう》に追究するほどのことはなかろう。
 しかし、とにかくこの広告は随分嫌われものだ。それだけにまた、宣伝という点では、これだけ効果的なものは、今もってちょっとほかに見当らないくらいだった。売れた。情けないほど売れたよ。
 当時、まだそんな言葉は出来ていなかったと思うが、いわゆる知識階級――薬の効目などというものには全く懐疑的で、また、全快写真の八百長さ加減ぐらいは百も承知している筈の連中にしても、たとえば、
「――実は、少々胸がわるいんだが、まだ川那子メジシンの厄介になるほどは、わるくないから安心だ」
 ぐらいのことは言い、いよいよとなれば、飲む覚悟も気休めにしていたほどであったから、一般大衆の川那子肺病薬に対する盲信と来たら、全くジフイレスのサルバルサンに於けるようなものだった――と、言って過言ではあるまい。病人にはっきり肺病だと知らせるのを怖れて、ひそかにレッテルをとって、川那子薬をのませたという話もあった。
 もって、その人気がわかる。みな、この広告のおかげ、つまりはおれの発案のおかげだったではないか。それと、もうひとつこれもおれの智慧だが、同じ薬に上製と特製の二種類を設けたことが、非常に効果的だった。どうせ、中身はたいして変らぬのだが、特製といえば、なにか治りがはやいように思って、べらぼうに高価《たか》いのに、いや、高価いだけに、一層売れた。知らぬ間に、お前は巨万の金をこしらえていたのだ。

  
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