れていることなぞに気のつかぬ鈍感な男だった。
「――この五六三郎という奴は、家老の家に生れたのを、笠に着て威張りよるのは、まず我慢出来るとして、のっぺりした顔をしやがって、頭のてっぺんから夏蜜柑のような声を出す。俺ア虫唾が走るんだ。第二の理由は、こ奴かねがね楓に横恋慕して、奥方を通じて、内々の申し入れ、それを楓がはねつけたものだから、奥方に入智慧して、歌の会の趣向など、たくらみおって、うむを言わさず、楓を娶ろうというその魂胆が気にくわぬ。第三の理由というのは……」
「おのれが一番いい歌を作るものと、はな[#「はな」に傍点]から極めこんでいる、その鼻ッ柱が気にくわぬというのだろう」
 と、すかさず佐助が言うと、
「そうだ。その通りよ。そこで貴公、病気の全快祝いだと思って、今夜の歌の会に出て、五六三郎の鼻を明かしてくれんか」
「俺ア断るよ。貴公出て、珍妙なる歌でも作るさ」
 と、佐助が言うと、三好は坊主頭をかいて、
「ところが、俺ア笛と法螺なら、人並以上にうまく吹くが、歌と来た日にゃ、からきしだめなんだ。いや、こりゃ法螺じゃない。正直なところを、恥をしのんで言ってるんだ。頼む。貴公出てくれ」
「いやだ」
 と、佐助は吐きだすように言った。
「――考えてもみろ。歌を作るのはやすいが、そのおかげで、見も知らぬ女を押しつけられるのは、真っ平だ。俺の幼馴染みに、楓という美女がおったが、同じ楓でもピンから数えて、キリまであろうよ」
 そう断ったが、三好は言いだしたらあとへ引かぬ男で、しまいには、
「出てくれねば、今日限り口をきかぬ!」
 と、言うので、さすがの佐助もいいなりになるより外に仕方がなかった。
 夜になると、佐助はアバタ面に裃つけて、歌の会に臨んだ[#底本では「望んだ」と誤植]。ところが、たまたま自分の前へ、しずかに腰を下した侍女の顔を見て、佐助はさっと顔色を変えた。悪口祭の夜、別れて以来の楓だった。
「あッ、この楓だったのか」
 いつ召し抱えられたのであろうと、しかし考えるいとまなく、いきなり佐助は極意の忍術を使って、さっと天井の中へ姿を消してしまった。
 しかし、楓はいち早く気づいて、
「あッ、佐助様!」
 と、思わず起ち上ろうとした途端、はや佐助の気取った声が、天井から聴えて来た。
「楓どの。立つな、叫ぶな、探すな、坐れ。城中でござるぞ、見苦しい。いや、見苦しいのは、それがしが顔。人に見せてもそなたにだけは、夢うつつにも見せられようか。アバタめが、猿の衣裳の裃つけて、歌を読むとて短冊片手に首を振り、万葉もどきの調子をつけて、『アバタめが首を振る振る振るもよし振らざるもよし』などとは、口くさっても言えようか。気が狂うても見せられようか。アバタの穴が消せないままに、極意の秘伝でこの身を消して、雲の上より未練の一声、立つな、叫ぶな、探すな、坐れ。坐って聴けや、この胸の嘆き。猿飛佐助は、そなたの前から、今宵限りに姿を消して、あとは気任せ、足任せ、時には飛行の一足飛びに、日本全土飛び歩く、忍術道中の草鞋をはいて、はいて捨てるは毒舌三昧、ああこれからが面白いが、そなたに別れるこの苦しさは、少し旅寝の枕を濡らそう。楓どの、さらばじゃ」
 例によって、妙な調子のあらぬ言葉を残して、上田の城から姿を消した佐助は、歌の会の結果がどうなったか知る由もなく、また知ろうともせず、その夜の内に飛行の術で、飛ぶわ、飛ぶわ、物の怪につかれたように飛んで、丑満の頃には、京の都の東山の上空まで来たが、折柄南禪寺の山門に立ちのぼる陰々たる妖気を見ると、何思ったか、えいと飛び降りた。
 そして、耳をすますと、果して山門の楼上より、ひそびそと話し声が聴えて来た。
「はて、面妖な。この丑満刻に時ならぬ人の声。何? 伏見桃山、千鳥の香炉?……ふーむ、奇怪な言葉が聴えるぞ」
 三町四方に蚤の飛んだ音も聴きわけるという佐助が、怪しい楼上の声を聴きつけて、そう呟いた途端、一本の手裏剣が佐助の眉間めがけて、飛んで来た。

   水遁巻

 南禪寺山門に立ちのぼる陰々たる妖気を見て、いきなり飛び降りた佐助が、折柄楼上より聴える、
「伏見桃山、千鳥の香炉……」
 という怪しの人声を耳にした途端、一本の手裏剣が、佐助の眉間めがけて飛んで来たので、心得たりと、宙に受けとめて、うかがうと、百日かずらの怪しげな男が、いくらか洒落気のある男らしく、上方訛りの七五調をつらねながら、こう呶鳴るのが聴えた。
「時も時、草木も眠る丑満の、所もあろうにわが山門に、紛れ[#底本では「粉れ」と誤植]込んだる慮外者、熱に浮かされ夜な夜な歩く、夢遊病者か風来坊か。風の通しのちと変挺な、その脳味噌に風穴一つ、明けて口惜しい手裏剣を、眉間めがけて投げてはみたが、宙にとめられ残念至極、うぬは一体どこの何奴だ?」
 佐助はこの言葉を聞くと、風流を解する男にめぐり合ったうれしさに、すっかり気を良くしたので、
「明けて口惜しい竜宮[#底本では「龍宮」]土産、玉手の箱もたまには明かぬ……」
 と、例の調子を弾ませて、
「――明けてたまるか風穴一つ、と申すのもこの顔一面、疱瘡の神が手練の早業、百発百中の手裏剣の跡が、網代[#「網」に白丸傍点]の目よりもなお厳重に、赤[#「赤」に白丸傍点]い鰯のうぬ[#底本では「うね」と誤植]が手裏剣、仇[#「仇」に白丸傍点]な一匹もらしはせじと、見張って取り巻くあまた[#「あ」に白丸傍点]のアバタ[#「ア」に白丸傍点]、あの字[#「あ」に白丸傍点]づくし[#底本では「ずくし」と誤植]のアバタ[#「ア」に白丸傍点]の穴が、空地[#「空」に白丸傍点]あけず[#「あ」に白丸傍点]に葦[#「葦」に白丸傍点]のまろ屋、さては庵室[#「庵」に白丸傍点]あばら屋[#「あ」に白丸傍点]と、軒を並べた雨戸[#「雨」に白丸傍点]を明けりゃ[#「明」に白丸傍点]、旭[#「旭」に白丸傍点]の登る勢いに、薊[#「薊」に白丸傍点]の花の一盛り、仇[#「仇」に白丸傍点]な姿に咲きにおう、アバタ[#「ア」に白丸傍点]の穴[#「穴」に白丸傍点]の花見酒、呆[#「呆」に白丸傍点]れが礼を言いに来る、あたら[#「あ」に白丸傍点]男を台なしの、信州にかくれもなきアバタ男猿飛佐助とは俺のことだ」
 と、あの字づくし[#底本では「ずくし」と誤植]で答えると、楼上の男は心得たりと、
「いみじくも名乗った。手八丁口八丁の、ても天晴れなる若者が、あの字づくし[#底本では「ずくし」と誤植]で名乗ったからは、いの字づくし[#底本では「ずくし」と誤植]で、答えてくれよう。――十六夜う[#「十」に白丸傍点]月も石山[#「石」に白丸傍点]の、乾[#「乾」に白丸傍点]にかくれて一寸先[#「一」に白丸傍点]を、いざり[#「い」に白丸傍点]も這えぬ暗闇に、かくれてことなすいか者[#「い」に白丸傍点]は、石川[#「石」に白丸傍点]や浜の真砂の数あれど、石[#「石」に白丸傍点]の上にも三年の伊賀[#「伊」に白丸傍点]で覚えし忍術を、いざ[#「い」に白丸傍点]鎌倉のその時に、使えばいかな[#「い」に白丸傍点]敵もなく、いつも[#「い」に白丸傍点]月夜と米の飯、石[#「石」に白丸傍点]が流れて木の葉が沈む、今[#「今」に白丸傍点]太閣の天下をば、命[#「命」に白丸傍点]をかけた陰謀[#「陰」に白丸傍点]の、意地[#「意」に白丸傍点]ずくどりの的にして、命[#「命」に白丸傍点]知らずの一味[#「一」に白丸傍点]郎党、一蓮託生[#「一」に白丸傍点]の手下に従え、一気呵成[#「一」に白丸傍点]に奪わんと、一騎当千[#「一」に白丸傍点]の勢い[#「勢」に白丸傍点]の、帷幄[#「帷」に白丸傍点]は東山南禅寺[#「南禪寺」と不統一は底本のまま]、一[#「一」に白丸傍点]に石川、二に忍術で、三で騒がす、四に白浪の、五右衛門と噂に高い、洛中洛外かくれもなき天下の義賊、石川五右衛門とは俺のことだ」
 と、名乗った。
 が、佐助は、石川五右衛門と聴いても、少しも驚かず、こりゃますます面白くなったわいと、ぞくぞくしながら、
「さては、伏見桃山千鳥の香炉と囁いたは、桃山城に忍び入り、太閣秘蔵の千鳥の香炉を、奪い取らんとのよからぬ談合《だんごう》でありしよな」
 と、詰め寄った。
 すると、五右衛門は、さては聴かれてしまったかと、暫らく唸っていたが、やがて、大音声を張り上げて、相も変らぬ怪しげな七五調を飛ばしはじめた。
「石が物言う世の習い、習わぬ経を門前の、小僧に聴かれた上からは、覚えた経(今日)が飛鳥《あすか》(明日か)の流れ、三途の川へ引導代り、その首貰った、覚悟しろ!」
 そう言い終ると、五右衛門は仔細ありげに十字を切って、
「――南無さつたるま、ふんだりぎや、守護しょうでん、はらいそはらいそ……」
 と、おかしげな呪文を唱えたので、佐助は危く噴きだしかけたが、辛うじて堪えた。
 ところが、呪文が終った途端、五右衛門の身体はいきなりぱっと消え失せたかと思うと、一匹の大蟇がドロドロと現われたので、佐助はついに堪え切れず、大笑いに笑った。
「あはは……。バテレンもどきの呪文を唱えたかと思えば、罷り出でたる大蟇一匹。児来也ばりの、伊賀流妖魔の術とは、ても貧弱よな、笑止よな。そっちが伊賀流なら、こっちは甲賀流。蛇の道は蛇を、一匹ひねりだせば、一呑みに勝負はつくものを。したが、それでは些か芸がない。打ち見たところ、首をかしげて、何考えるか寒《かん》の蛙《かえる》の寒そうな、ちょっぴり温めてくれようか」
 そう言ったかと思うと、はや佐助の五体はぱっと消え失せて、一条の煙が立ちのぼった、――と、見るより、煙は忽ち炎と変じて、あれよあれよという間に、あたり一面火の海と化し甲賀流火遁の術であった。
 炎はみるみる蟇の背に乗りうつった。蟇は驚いて飛び上り、
「あッ!熱ウ、熱ウ!」
 と、情けない人間の声をだしながら、苦悶の油汗を、タラリタラリと絞り落した。
 が、五右衛門もさる者であったから、いつまでも蟇の我慢という洒落に、甘んじていず、再び「南無さつたるま、ふんだりぎや、守護しょうでん、はらいそはらいそ……」
 と、必死の呪文を唱えたかと思うと、沛然と雨を降らした。火遁の術を防ぐ水遁の術である。
 ところが案に相違して火はますます熾んに燃え、蟇の苦悶は増すばかりであったから、さすがの五右衛門も、
「助けてくれ、あッ、熱ウ、熱ウ!」
 と恥も見栄も忘れたあらぬ言葉を、口走った。
 実は蟇の身体より流れる油に燃えうつった火が、五右衛門の降らした水を得て、かえって勢いを増したのであった。
 これこそ、佐助の思う壺《つぼ》であった。五右衛門の奴め、わが術中に陥ったとは、笑止笑止と、佐助は得意満面の、いやみな声を出して、
「やよ、五右衛門、その水遁の術、薮をつついて、蛇を出したぞ。重ねた悪事の報いに、やがては、釜の油で煮られるその方、今のうちに蟇の油で焼かれる熱さに馴れて置け! それとも後悔の背を焼かれる、その熱ささましたければ、まずうぬが眼をさまして、顔を洗うまえに、悪事の足を洗うがよかろう」
 こじつけの、下手糞な洒落を吐くと、
「――さらばじゃ」
 東西南北、いずくとも知れず、姿を消してしまった。
 五右衛門には、一の子分の木鼠胴六をはじめ、関寺《せきでら》の番内《ばんない》、坂本の小虎、音羽の石千代、膳所《ぜぜ》の十六《とおろく》[#底本では「とうろく」とルビ]、鍵はずしの長丸、手ふいごの風《かぜ》之助、穴掘[#底本では「穴堀」と誤植]の団八、繩辷《なわすべ》りの猿松、窓|潜《くぐ》りの軽《かる》太夫、格子|毀《こぼち》の鉄伝《てつでん》、猫真似の闇《やみ》右衛門、穏|松明《たいまつ》の千吉、白刃《しらは》取りの早若《はやわか》などの子分がいたが、これらの子分共は千鳥の香炉盗み取りの陰謀の談合のため、折柄南禅寺の山門へ寄っていたので、頭目の石川五右衛門の哀れな試合の一部始終を、見物していた。
 そして、五右衛門の大火傷を目撃すると、彼等は思わず噴きだすという失礼を犯してしまった。
 
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