に違いねえ。そこをふん縛るんだ」
「しかし、親分、猿飛という奴は、親分にも大火傷、いやお灸[#底本では「お炙」と誤植]を据える位の忍術使いですから、下手すると、こっちがやられてしまいますぜ」
「莫迦をいえ! いかな猿飛といえど、俺の秘策に掛っては……」
「秘策というと……?」
「松明仕掛けの睡り薬で参らすんだ。その作り方は、土竜《もぐら》[#底本では「土龍」]、井守《いもり》、蝮蛇《まむし》の血に、天鼠、百足《むかで》、白檀、丁香、水銀郎の細末をまぜて……」
 そんな陰謀があるとは、知らぬが仏の奈良の都へ、一足飛びに飛んだ佐助は、その夜は大仏殿の大毘盧遮那仏の掌の上で夜を明かした。
「天下広しといえども、大仏の掌で夜を明かしたのは、まずこの俺くらいなものであろう」
 と、例によって佐助は得意になっていたが、しかし、翌朝早く眼を覚ますと、にわかに空腹を覚えた。
「なるほど大仏の掌は、天下一[#底本では「大下一」と誤植]の旅籠だが、朝飯を出さぬのが、手落ちだ。といって、あわてて上田の城を飛び出して来たもんだから、一杯六文の奈良茶漬けを食う銭もない」
 と、呟いてみたが、そんな駄洒落では腹の足しになるまいと、考えているうちに、ふと頭に泛んだのは、奈良には槍の宝蔵院があるということである。
「そうだ。宝蔵院では試合を求めに来た者には宝蔵院漬けの茶漬けを出すということだ」
 そう呟いた途端、佐助の身体はえいという掛声と共に、もう宝蔵院の前に突っ立っていた。
 玄関につるしてある銅鑼《どら》を鳴らすと、
「どーれ」
 出て来たのは三好清海入道よりまだ汚い、あらくれの坊主である。
「それがしは、信州真田の郎党、猿飛佐助幸吉と申す未熟者、御教授を仰ぎたい」
「上られい!」
 草鞋を脱いで上ると、道場へ通された。
「流儀は……?」
 と訊かれたので、にやにやしながら、
「何流と名乗るほどのものはござらぬが、強いて申さば、一流でござる」
 と、答えると、相手はカンカンになって、
「当院は宝蔵院流といって、一度び試合を行えば必ず怪我人が出るというはげしい流儀じゃ。町道場の如き生ぬるい槍と思われては後悔するぞ。まった、当院は特に真槍の試合にも応ずるが、当院に於いて命を落した武芸者は既に数名に及んでいる。寺院なれば殺生を好まずなどと、考えては身のためにならんぞ!」
「なるほど、当院は人殺し道場でござるか。いやいや、感服致した。寺院なれば葬式の手間もはぶけて、手廻しのよいことでござるわい」
「…………」
 相手はあっけにとられていた。
「したが、それがし目下無一文にて、回向料の用意もしておらぬ故、今ここで死ぬというわけには参りませぬて。あはは……」
「何ッ!」
 坊主はかんかんになって、起ち上った。
「あはは……。薬鑵《やかん》頭から湯気が出ているとは、はてさて茶漬けの用意でござるか。ても手廻しのよい」
「黙れ!」
 坊主は真槍をしごくと、
「――えい!」
 と、佐助の胸をめがけて、突き出した。
 途端に、佐助の姿は消えていた。
「やや、こ奴魔法つかいか。いきなり見えなくなったとは、面妖な」
 と坊主は驚いたが、すぐカラカラと笑うと、
「いやそうではあるまい。大方、愚僧の槍に突かれて、猿沢の池あたりまで吹っ飛んでしまったのであろう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、万物逝いて復らず、人生流転、生者必滅、色即是空!」
 どうも修業の足りぬ坊主と見えて、しどろもどろの念仏を唱えているところを、佐助は宙に浮いたまま鉄扇でしたたか敲くと、
「参った!」
 佐助はドロドロと姿を現わして、
「失礼仕った!」
「やや、こ奴!」
「あはは……。お手前の眼から出た火で、薬鑵頭の湯気が煮え立っておるところを見れば、茶の用意も整ったと見えた。――どれ、茶漬けの馳走にあずかりましょうかな」

 宝蔵院漬けの茶漬けに味をしめた佐助は、その日の昼食を、奈良から一足飛びに飛んだ京の都、今出川畔、当時洛中に噂の高い、その名も富田無敵《とんだむてき》という男の道場で、したためた。
 晩飯は同じく四条、元室町出仕の吉岡憲法の道場、翌日の朝飯は百万遍、舎利無二斎《しゃりむにさい》の道場と洛中の道場を一つ余さず食べつくした挙句、やがて京の都を今日(京)を限りに大坂へ現われた時に既にアバタの茶漬け侍の威名は、その醜いアバタ面の噂と共に、大坂中に鳴り響いていた。
 大坂の道場もまた、佐助の忍術の前には赤子同然であった。
 その赤子の手を軽くねじった佐助の足は、やがて、須磨、明石、姫路、岡山へと中国筋に伸びて、遂に九州の南の端にも及び、琉球の唐手術も佐助の前には、脆かった。
 佐助の自尊心は、ここに到って、アバタのひけ目を補って余りあるくらい満足され、
「天下ひろしといえども、この俺より強い者に一人も出会
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