変じて、あれよあれよという間に、あたり一面火の海と化し甲賀流火遁の術であった。
炎はみるみる蟇の背に乗りうつった。蟇は驚いて飛び上り、
「あッ!熱ウ、熱ウ!」
と、情けない人間の声をだしながら、苦悶の油汗を、タラリタラリと絞り落した。
が、五右衛門もさる者であったから、いつまでも蟇の我慢という洒落に、甘んじていず、再び「南無さつたるま、ふんだりぎや、守護しょうでん、はらいそはらいそ……」
と、必死の呪文を唱えたかと思うと、沛然と雨を降らした。火遁の術を防ぐ水遁の術である。
ところが案に相違して火はますます熾んに燃え、蟇の苦悶は増すばかりであったから、さすがの五右衛門も、
「助けてくれ、あッ、熱ウ、熱ウ!」
と恥も見栄も忘れたあらぬ言葉を、口走った。
実は蟇の身体より流れる油に燃えうつった火が、五右衛門の降らした水を得て、かえって勢いを増したのであった。
これこそ、佐助の思う壺《つぼ》であった。五右衛門の奴め、わが術中に陥ったとは、笑止笑止と、佐助は得意満面の、いやみな声を出して、
「やよ、五右衛門、その水遁の術、薮をつついて、蛇を出したぞ。重ねた悪事の報いに、やがては、釜の油で煮られるその方、今のうちに蟇の油で焼かれる熱さに馴れて置け! それとも後悔の背を焼かれる、その熱ささましたければ、まずうぬが眼をさまして、顔を洗うまえに、悪事の足を洗うがよかろう」
こじつけの、下手糞な洒落を吐くと、
「――さらばじゃ」
東西南北、いずくとも知れず、姿を消してしまった。
五右衛門には、一の子分の木鼠胴六をはじめ、関寺《せきでら》の番内《ばんない》、坂本の小虎、音羽の石千代、膳所《ぜぜ》の十六《とおろく》[#底本では「とうろく」とルビ]、鍵はずしの長丸、手ふいごの風《かぜ》之助、穴掘[#底本では「穴堀」と誤植]の団八、繩辷《なわすべ》りの猿松、窓|潜《くぐ》りの軽《かる》太夫、格子|毀《こぼち》の鉄伝《てつでん》、猫真似の闇《やみ》右衛門、穏|松明《たいまつ》の千吉、白刃《しらは》取りの早若《はやわか》などの子分がいたが、これらの子分共は千鳥の香炉盗み取りの陰謀の談合のため、折柄南禅寺の山門へ寄っていたので、頭目の石川五右衛門の哀れな試合の一部始終を、見物していた。
そして、五右衛門の大火傷を目撃すると、彼等は思わず噴きだすという失礼を犯してしまった。
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