たづくまで、あんたもベンゲットの他あやんや言われて、ええ気になって、売り出したり、うかうかよその国へ行ってしまわんようにしなはれや。大体、あんたは昔からおっちょこちょいやさかい、気イつけて、阿呆な真似をしなはんなや」
西日のかんかん射し込む奥の四畳半に敷いた床の上で、蚊細い声の意見をして、息絶えた。
夏になると、しきりに比律賓への郷愁にかり立てられる他吉の腹の虫を、お鶴は見抜いていたのだろうか。
お鶴の死に足止めされて、八年が経った。
一日何里俥をひいて走っても、狭い大阪の町を出ることは出来ないと、築港へ客を送るたび、銅羅の音に胸をどきどきさせているうちに、もう娘の初枝は二十一歳であった。
節分の日、もうその歳ではいくらか気がさす桃割れに結って、源聖寺坂の上を、初枝が近所の桶屋の職人の新太郎というのと、肩を並べて歩いている姿を、他吉は見つけた。
すぐ寺の境内に連れ込み、新太郎の横面を殴りつけた勢いで、初枝の顔にも手が行ったが、折角の髪をつぶしてはと、この方はさすがに力を抜いて、他吉の眼がさきに火が出るくらい、情けなかった。
こんな不仕鱈《ふしだら》な女をひとり放って置いて
前へ
次へ
全195ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング