て、時には数百メートルも下って工事の基礎地点を発見しなければならない。しかも、そうした場所にひとたび鶴嘴を入れるや、必らず上部に地滑りが起り、しだいに亀裂を生じて、ついにはこれが数千メートルにも及ぶ始末である……」
もって工事の至難さを知るべしという技師長の報告が、米本国の議会へ送られた時には、土民の比律賓《フィリッピン》人をはじめ、米人・支那人・露西亜人・西班牙《スペイン》人等人種を問わず狩り集められていた千二百名の人夫は、五メートルの工事に平均一人ずつの死人が出るという惨状におどろいて、一人残らず逃げだしてしまっていた。
けれど、本国政府は諦めなかった。熱帯地にめずらしく冬は霜を見るというくらい涼しいバギオに避暑都市を開いて、兵舎を建築する計画の附帯事業として、ベンゲット道路の開鑿は、比島領有後の合衆国の施政に欠くことの出来ないものであった。
工事監督が更迭して、百万ドルの予算が追加された。新任のケノン少佐はさすがにこれらの人種の恃むに足らぬのを悟ったのか、マニラの日本領事館を訪問して、邦人労働者の供給を請うた。邦人移民排斥の法律を枉げてまでそうしたのは、カリフォルニヤを開拓
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