って行く。そういう風にわいは君枝を育てて来たアる筈や。心配はいらんぜ。お前がそういう心配をしたら、どんならんと思えばこそ、わいはお前らの厄介にならんと、ひとりでやって行こ思て……」
 今なお俥をひいている此の俺を見ろと、他吉はくどくど言ったが、次郎は父親似の頑固者だった。
 口で言うても分らぬ奴だと、しかし、他吉はさすがに孫娘の婿に手を掛けるようなことはせず、その代りなに思ったか、君枝を河童路地へ連れ戻した。
 あっという間のことだったから、次郎は腹を立てたり、まあ待ってくれと言う余裕もなく、あっけに取られてしまった。君枝はそういう他吉の流儀に馴れていた。
 君枝の婚礼の時、朝日軒のおたかは例によって頭痛を起して三日寝こんだ。だから、君枝が河童路地へ戻って来たのを、それみたことかと人一倍喜ぶのは普通ならおたかをおいてほかになかったが、丁度その時には朝日軒一家はもう河童路地の入口には居なかった。居たたまれないわけがあったのだ。
 ありていに言うと、一番末の娘(といってももう三十歳だが)の持子が、姙娠したのだ。いってみれば、姉たちをさし置いて姙娠したのだ。
 弁士の玉堂がきいたら悲観するところだったろうが、彼は七年前に河童路地を夜逃げしていた。トーキーが出来てから、弁士では食って行けず、暫らく紙芝居などやっていたが、それもすたれて、貧乏たらしくごろごろしていたが、ある日忽然と河童路地から姿を消したのだった。最近、梅田附近の露店で手品の玩具を売っているのを見た者があるという。
 姙娠と同時に縁談があった。勿論、相手の男だったが、仲人をいれず、自身でしゃあしゃあ出向いて来て、持子さんをいただけないかと言ったのである。
「物には順序というもんがおます」
 おたかはかんかんになって怒った。今更順序など言いだすのはおかしい。はじめから、順序が狂い過ぎていたのである。
 その男はしかし、一寸考えて、やがて友達を仲人に仕立てて、寄越した。
 ところが、その友達というのが、その男と同じ鋳物の職工で、礼儀作法なぞ何ひとつ知らぬ、いわば柄の良くない男であった。
「うちの持子は女学校を出ていますさかいな」
 おたかはそんな風に言った。その界隈で大正時代に娘を女学校へやった家は数えるほどしかなかったのである。
「――鋳物の手伝いをさせるために、女学校へやったんとちがいます」
「さよか」
 仲人はさっさと帰ってしまった。
 持子は泣いておたかに迫った。
 おたかもはじめて事態を悟り、仲人を追いかえしたことを後悔した。
 そこで、改めて敬助が先方の男に会うた。
 ところが、職人気質のその男は、折角仲人に頼んだ友達の顔に泥を塗られたと言って、かんかんになって怒っていた。
「なるほど、わたいは鋳物の職人です。しかし、お宅もやはり人の頭を刈る職人でっしゃろ。五分々々ですがな。それに、わたいはあのひとのお腹にいる子供の父親でっせ」
 敬助は帰って、おたかに、仲人になった男に謝るようにと頼んだ。
「この歳になって、人様《ひとさん》に頭下げるのは、いやだっせ」
 おたかはなかなか承知しなかった。
「そんなこと言うてる場合と場合がちがうがな。持子のお腹のこと考えてみイな」
 口酸っぱく言われて、それでは謝ってみましょうと、おたかの腹がやっときまりかけた時に、幸か不幸か、持子の相手の男が盲腸をわずらって、ころっと死んでしまった。
 おたかの髪の毛は真っ白になった。持子のお腹は目立って来る。
 朝日軒一家は田辺の方へ引き越した。
「こんどのところは、郊外でんねん。家の前に川が流れていて、ほん景の良えとこでっせ。郊外住いもそう悪いことおまへんさかいな」
 郊外という言葉がおたかの虚栄をわずかに満足させたのだった。
 敬吉は田辺へ移ったのを機会に理髪業をよした。家へ人が出入りするのを避けるつもりもあったかも知れない。
 そして、今では理髪店用の化粧品のブローカーをしているということだった。
「柳吉つぁん[#底本では「柳吉っあん」となっている]の口添えだんねん」
 と、得意そうに種吉は君枝に語った。柳吉の実家は理髪用化粧品の問屋だったことを君枝は想いだし、わざわざ朝日軒のことを自分に言いだした種吉の気持が、微笑ましく判った。
 君枝は次郎と別れて河童路地へ戻って来ても、存外悲しい顔は見せず、この半年の間に他吉がためていた汚れ物を洗濯したり、羅宇しかえ屋の婆さんに手伝ってもらって、蒲団を縫いなおしたりした。
 ひとり者の〆団治の家の掃除もしてやり、そんな時、君枝は、
「――ここは地獄の三丁目、往きは良い良い、帰りは怖い」
 などと、鼻歌をうたった。そして、水道端では、
「うち到頭出戻りや」
 と、自分から言いだして、けろりとした顔をしていたので、ひとびとは驚いたが、しかし、そうして路
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