。
「――わいがお前らの厄介にならん言うのを、そんな風にとってたんか、阿呆!」
雲行きが怪しくなったので、〆団治はあわてて、
「まあ、まあ」
と、仲にはいり、自分でも何を言っているか判らなかったが、とにかく喋りまくって、その場の空気を柔らげた。
「婚礼の晩にむつかしい顔してにらみ合うてる奴があるかい。さあ、笑い、こんな顔しイ」
〆団治が自分でニコニコした顔をつくって見せると、漸く他吉、次郎の順に固い表情がとれた。
〆団治に促されて他吉があとに随いて外へ出ると、月夜だった。
秋の冷え冷えした空気がしみじみと肌に触れた。
「他あやん、おまはんいったい幾つやねん?」
〆団治が言った。
「五や」
「六十五にもなって、若い者相手に喧嘩する奴があるかいな。しかし、また、なんぜお前はそう頑固にあの二人の厄介になるのを断るねん。君ちゃんかて今孝行せなする時がない思て、やきもきしてるにきまってるぜ」
「孝行してもらうために、育てて来たんとちがう」
他吉はぼそんと言った。
「なるほど、お前が厄介になって、君ちゃんに気兼ねさしたら、可哀想や言うわけやな」
「それもあるけど……」
あと他吉は答えなかった。
翌日、雨だった。
雨の町を他吉は俥をひいて、ひょこひょこ走っていた。
7
半年経つと、安治川での仕事が一段落ついたので、鶴富組の主人はかねて計画していた△△沖の沈没船引揚げ事業に取り掛ることになった。
そして、新婚早々大阪を離れるのはいやだろうがと、次郎に現場への出張を頼むと、君枝との結婚の際親代りになって貰った手前もあって、当然よろこんで行くべきところを、次郎は渋った。
「あそこはたしかに五十尋はありましたね。今までなら身寄りの者はなし、喜んで潜らして貰ったんですが、どうも女房を貰っちまうと、五十尋の海はちょっと……」
△△沖の沈没船引揚げ作業は、前にもあるサルベージが手をつけて、失敗したことがあったので、次郎はそれを聴き知っていた。
「そりゃ、なるほど危険なことは危険だが……」
と、鶴富組の主人は言った。
「――危険は危険だが、それだけにまた、やり甲斐はあらアね。それに、君、説教するようだけど、もう今日じゃ、引揚げ事業ってやつは、一鶴富組の金儲けじゃないんだからね。女房も可愛いだろうが、そこをひとつ……」
「そう言われると辛いんです。おっしゃられるまでもなく、引揚げって奴は国家的な仕事だってことは、よう判っています。判ってはいるんですが……」
「やっぱり女房は可愛いかね」
「いや、女房だけじゃ良いんですが、祖父さんのことを考えると、うっかり……。そりゃ、あの祖父さんのことですから、僕が死んでも立派にやって行ってくれるでしょうけど、しかし、あの祖父さんもこれまでに一度婿を死なしていますから……」
と、次郎はこれを半分自分への口実にしていた。
実は次郎は近頃潜水夫の仕事が、怖いというより、むしろ嫌になって来ているのだった。
つい最近、桜橋の交叉点でむかし品川の写真機店で一緒に奉公していた男に出会った。立ち話にきくと、今では堺筋に相当な写真機店を出しているということだった。
「君もあの時辛抱してりゃ良かったのに」
言われて、それもそうだなと思ったその気持が、相当強く働いて、一生その日稼ぎの潜水夫で終ることが情けなく思われたのである。
人間は身体を責めて働かなあかんという他吉の訓《おし》えを忘れたわけではなかったが、どれだけ口を酸っぱく薦めても、いまだに隠居しようとせず、よちよち俥をひいて走っている他吉を見ると、それもなにか意固地な病癖みたいに思えて、自分はやはり呑気な商売をと、次郎は考えだしていたのだった。
他吉は国際情勢が自分のマニラ行きを許さぬと判ってから、大きな声も出せぬくらい腑抜けていた。ひとつには、君枝をかたづけたという安心からであった。他吉の眼からは、次郎は働き者で、申し分ない婿に見えていたのだった。
ところが、次郎が鶴富組の主人の依頼を断ったことを聴きつけると、他吉は二十も若がえった。
他吉は血相かえて次郎の家へ飛んで来て、
「潜水夫が嫌になったとは、何ちゅう情けない奴ちゃ。鶴富組の御主人も言うたはったが、今に日本がアメリカやイギリスと戦《や》ってみイ。敵の沈没船を引揚げるのに、お前らの身体はなんぼあっても足らへんネやぞ。五十尋たらの海が怖うてどないする? ベンゲットでわいが毎日どんな危い目エに会うてたか、いっぺん良う考えてみイ。お父つぁん[#底本では「お父っあん」となっている]生きてたら、蝙蝠傘でど頭《たま》はり飛ばされるとこやぞ」
と、呶鳴りつけ、
「――わいらのことは心配すんな。お前にもしものことがあっても、君枝はわいが引き受けた。わいが死んだあとは、君枝が立派に後家を守
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