銭の薄い商売やさかい……」
「何言うてねん? なにも写真屋が商売とちがう。写真は道楽にやったはるだけや」
 君枝が言うと、他吉は、
「道楽……?」
 と、聴き咎めて、
「――ほんなら、何商売して食べとんねん、あいつは……?」
「潜水夫したはんねん」
 次郎から聴いたことをすっかり話すと、他吉は唸った。
「えらい奴ちゃ。人間は身体を責めて働かな嘘や言うこと忘れよらん。あいつはお前、夕刊配達しとった時から、身体を責めて来よった奴ちゃし、わいがよう言い聴かせといたったさかいな」
 他吉はなんとも言えぬ上機嫌な顔になったが、しかし、それならそれで、次郎ぼんの奴なぜ路地へ挨拶に来ん、君枝だけにこっそり会うのはけしからんとすぐ眼を三角にして、
「――それにしても、君枝、若い男と女がべたべたボートに一緒に乗って良えちゅう訳はないぜ。だいいち、ボートがひっくりかえったらどないすんねん?」
「それは大丈夫や。次郎さんは潜水夫[#「や」が欠如か]さかい、ひっくり返ったかて……。潜水夫の眼エから見たら、中之島の川みたいなもん、路地の溝みたいなもんや言うてはった。大浜の海水浴は池みたいなもんやて……」
「いちいち年寄りに逆らうもんやあれへん。次郎ぼんであろうが、太郎ぼんであろうが、若い娘が男とちゃらちゃら会うたりするもんと違う。だいいち、次郎ぼんの仕事に差しつかえる。ええか。こんどめ[#「こんどめ」に傍点]から会うたらあきまへんぜ」
 蚊帳の中へはいってからも、他吉の小言は続いた。
 君枝は首垂れて他吉の方に団扇で風を送っていたが、ふと顔をあげると、耳の附根まで赧くなり、
「あのな、次郎さんな、今日、うちと……」
 団扇の動きがとまった。
「――うちと夫婦になりたいと言やはんねん」
「…………」
 他吉の顔の筋肉がかすかに動いた。
 暫らく沈黙が続いた。蚊の音がはげしかった。
 君枝は今日中之島公園で次郎とかわした会話を慌しく膝の上に想い出した。
「――他あやん、いつまで俥ひいたはる気やろな。なんぼえらそうなこと言っても、やっぱり歳は歳やさかい……」
「――隠居してくれ言うても、なかなか隠居してくれしめへんねん。うちに甲斐性が無いさかい……」
「――そんなことは無いやろけど……。他あやんにしてみたら、早よあんたに良えお婿さんを貰て、それから隠居しよ思たはるのんと違うやろか」
「――さあ。いつぞやそんなことも言うてましたけど……。お前の身がかたづいたら、わいはもういっぺんマニラへ行こ思てるねんて……」
「そんなら、余計はよ結婚せないかんね」
「――まあ。意地悪《いけず》なことよう言やはるなあ」
「――そうかて、そうやないか。好きな人あったら、はよ結婚して、他あやんを安心さしたらな、いかんぜ」
「――知らん。うち結婚みたいなもん、せえへん。好きな人みたいなもんちょっともあれへん。それに、うちひとりやったらともかく、お祖父ちゃんの面倒まで見てくれるいう人今時あれへんわ。うち、お祖父ちゃんの生きてる間、結婚せえへん」
「――そんなこと言うたら、余計他あやんを苦しめるもんや」
「――そやろか。しかし、それよか仕様ない。ほかに仕様があれへんわ」
「――ないこともないがな。たとえばやな……。たとえば、僕と結婚したら……」
「――あんた、平気で冗談《てんご》言やはんねんなあ」
「――冗談や思てるのん?」
「――ほな……?」
「――うん」
 想いだしていた君枝はまた顔をあげて、
「次郎さんやったら……」
 お祖父ちゃんの面倒もみてくれる、三人で住めば良いのだと、もじもじ言うと、
「阿呆!」
 蚊帳の中から他吉の声が来た。
「――もうこれから、どんなことあっても、次郎ぼんと会うたら、あきまへんぜ。次郎ぼんにもそない言うとく。次郎ぼん今どこに住んどオるねん?」
 それから五日経った夜、他吉はなに思ったか、いきなりこんなことを言いだした。
「お前ももう年頃や。悪い虫のつかんうちにお祖父《じ》やんのこれと見込んだ男と結婚しなはれ。気に入るかどないか知らんけど、結婚いうもんは本人同志が決めるもんと違う。野合《どれあい》にならんように、ちゃんと親同志で話をして、順序踏んでするもんや。明日の朝が見合いいうことに話つけて来たさかい、今晩ははよ寝ときなはれ」
「うち、いややわ」
 君枝はもう半分泣きだしていた。
「なんぜ、いややねん? なんぞ不足があるのんか?」
「そらそやわ。そない藪から棒に見合いせえ言うたかて、何したはる人かわからへんし……」
「お前にはわからんでも、お祖父やんには判ってたらそいで良え。まさか、肥くみもしとれへんやろ?」
「写真もまだ見てへんし……」
「写真、写真て、写真がなにが良えのや。次郎ぼんに写真きちがいを仕込まれやがってエ……」
 叱っているが、眼だけは和や
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