かであった。
「――なんでも良え。とにかく見合いしなはれ」
「…………」
咽の涙を鹹《しお》からく、君枝はしょんぼり味わった。
「するか、せんか。どっちや。返辞せんかい! するか?」
君枝はうなずいた。
6
翌日はまるでわざとのように雨であった。
「なんの因果でまた、こんな雨の日に見合いせんならんねん」
君枝はしょんぼりして、この五日間祖父のいいつけを守って次郎に会わなかったことが後悔された。いや、中之島公園で会った翌日、勤めが済むと、早速約束して置いた場所へ出掛けたのだが、次郎は来なかったのだ。祖父が次郎のところへ掛け合いに行ったせいだろうと、すごすご帰った時の悲しみが、降るようにして、いま胸へ落ちて来た。
が、他吉は上機嫌で、
「雨が降っても、見合いの場所は地下鉄のなかやさかい、濡れんでも良え。どや、お祖父やんは抜目がないやろ?」
「…………」
他吉は高下駄をはき、歩きにくそうであった。
ところが、難波駅の地下へ降りて行くと、さきに来て地下鉄の改札口で待っていたのは、思いがけぬ次郎で、傍には鶴富組の主人が親代りの意味らしく附き添うていた。
君枝はぼうっとして、次郎が今日の見合いの相手だとは、どうしても信じられず、さっと顔色を変えたくらいであった。
が、次郎の眼に恨みの色などすこしもなく、取り済ましているが、またとない上機嫌の表情がぴくぴく動いていて、どう見ても今日の見合いの相手であった。
それとわかると、君枝は今日の見合いに、クリームひとつつけて来なかったことがにわかに後悔され、嬉しさと恥かしさで下向くと、地下鉄の回数券が一枚よごれて落ちているのが眼にとまり、今この時これを見たことは、生涯忘れ得ないだろうと、思った。
鶴富組の主人を中心に改札口での挨拶が済むと、一しょに階段を降りて行き、次郎と鶴富組の主人は梅田行きの地下鉄に乗った。君枝と他吉はそれを見送り、簡単に見合いが終った。
「そんならそれと、はじめから言うて呉れたら良えのに……」
何も一杯くわさずともと、君枝は階段に登りながらちょっとふくれて、
「――こんな汚い顔して、鶴富組の御主人かて笑たはるこっちゃろ」
本当は次郎が笑っているだろうという気持を含めて、そう言ったが、しかしあとで大笑いの酒という茶番めいたものもなく、若い次郎はともかく、他吉も鶴富組の主人も存外律儀者めいた渋い表情であった。
とりわけ、他吉は精一杯にふるまい、もし君枝が鶴富組の主人に気に入らねばどうしようという心配も、はらはら顔に出ていた。
君枝の器量は他吉の眼からも、人並みすぐれて見えたが、そんなことは次郎はともかく鶴富組の主人にはどうでも良い筈だ。
だから、他吉にしてみれば、君枝を何ひとつ難のない娘に育てたという気持は、ひょっとすれば大それた己惚れであるかも知れず、それに比べて、次郎は三日前鶴富組の主人が他吉に語ったところによると、人間はまず年相応に出来ているし、潜りの腕もちょっと真似手がなく、おまけに眼もおそろしく利いて、次郎が潜ってこれならばと眼をつけた引揚げ事業で、これまで失敗したことがないということだ。
「――今やって貰っている仕事は、ほんのけちくさい仕事で、花井君には気の毒なようなもんだが、しかし、これが済むと、大きな奴がある。今ちょっとここで言うわけにはいかぬが、日本のサルベージでなくてはちょっと手が出せぬという……、そう、沈船浮游だ。これに花井君の身体がどうしても要るのだ」
へえと他吉は感心して、さそくに話を纒める肚がきまったのだ。
「――それに何ですよ。時局がこういう風になって来ると、花井君などもうわれわれ個人会社にいつまでも居る人じゃない。いつなんどき海外へ出て、沈船作業に腕をふるって貰わねばならんようになるかも知れない。だから、余程しっかりした奥さんでなくっちゃ」
「いや、その心配は要りまへん。わたいもこう見えても、もとは比律賓のベンゲットで働いて来た人間だす。婿をマニラで死なしても居ります。その点は、よう君枝に仕込んでありまっさかい」
よしんば形式だけにしろ見合いという順序を踏んだのは、ひとつには、ともかくうちの孫娘を見てやってくれ、という自信からだったが、さすがに他吉は心配だったのだ。
ところが、鶴富組の主人は、一風変った一見識あり、タクシーの案内係の制服のまま見合いに出て来たという点が何よりまず気に入った。
鶴富組の主人は大きな事業をやり、随分金もありながら、汽車はいつも三等に乗るという人であった。
「一等や二等に乗ったからって、早く着くわけじゃない」
というのが持論であった。
そうして次郎と君枝は市岡の新開地で新世帯をはじめたが、新居でおこなわれた婚礼の晩ちょっとしたごたごたがあった。
おひらきが済んで、他吉
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