持ち出して出掛けたまま、三日帰って来なかった。蝶子は柳吉を折檻した。
「あんたはそれで良うても、わてがあんたのお父さんに笑われま。二人で、苦労してこれだけの人間になりました言うて、お父さんの前へ早よ出られるようにしよ思て、一所懸命になってるわての気持は、あんたには判れしめへんのんか。いつになったら、真面目な人間になってくれまんねん」
「も、も、も、もうわかった。お、お、おばはん、わかった」
二度と浮気遊びはしないと柳吉は誓ったが、蝶子の折檻は何の薬にもならなかった。暫らくすると、また遊びだした。二人の世帯を築きあげて行こうという気持には、到底なれないらしかった。そろそろ肥満して来た蝶子は折檻するたびに息切れした。
柳吉が遊びに使う金はかなりの額だったから、遊んだあくる日はさすがに彼も蒼くなって、盞も手にしないで、黙々と鍋の中をかきまわしていた。が、四五日たつと、もう客の酒の燗をするばかりが能やないと言いだし、水を混ぜない方の酒をたっぷり銚子に入れて、銅壺の中へ浸け、チビチビと飲んだ。
明らかに商売に飽いた風で、酔うと気が大きくなり、自然足は遊びの方に向いた。紺屋の白袴どころでなく、これでは柳吉の遊びに油を注ぐために商売をしているようなものだと、蝶子はだんだんに関東煮屋をはじめたことを後悔しだした。するうちに、酒屋への支払いなども滞り勝ちになり、結局やめるに若かずと思って、その旨柳吉に言うと、柳吉は即座に同意した。
「この店譲ります」と貼り出ししたまま、陰気臭くずっと店を閉めた切りだった。柳吉は浄瑠璃の稽古に通いだした。
貯えの金も次第に薄くなって行くのに、一向に店の買手がつかなかった。蝶子はそろそろ三度目のヤトナに出ることを考えていた。
ある日、蝶子が二階の窓から表の人通りを眺めていると、それが皆客に見えて、商売をしていないことがいかにも残念であった。向い側の五六軒先にある果物屋が、赤や黄や緑の色が咲きこぼれて、活気を見せていた。客の出入りも多かった。果物屋は良え商売やなあとふと思うと、もう居ても立っても居られず、柳吉が稽古から帰って来ると、早速「果物《あかもん》屋をやれへんか」と相談した。が、柳吉は「さいな」と呟いたきり、てんで乗気にならなかった。いよいよ食うに困れば、梅田へ行って無心すれば良しと考えていたのだ。
ある日、どうやら本当に梅田へ出掛けたらしかった。帰って来ての話に、無心したところ、妹婿が出て応待したが、訳のわからぬ頑固者の上に、いずれはこの家の財産は養子の自分のものと思ってか随分けちんぼ[#「けちんぼ」に傍点]と来ていて、結局鐚一文も出さなかった――と、柳吉はしきりに興奮した。
そして、「果物屋をやるより仕様がない」顔をにがり切って見せた。
関東煮の諸道具を売り払った金で店を改造した。仕入れや何やかやで大分金が足らなかったので、衣裳や頭のものを質に入れ、なおヤトナ倶楽部を経営している昔の朋輩のおきんの所へ金を借りに行った。おきんは一時間ばかり柳吉の悪口を言ったが、結局「蝶子はん、あんたが可哀想やさかい」と百円貸してくれた。「あんたが維康さんと晴れて夫婦になる日を待ってまっせ」おきんに言われて蝶子は泣けた。
その足で父親の種吉の所へ行き、果物屋をやるから二三日手を貸してくれと頼んだ。西瓜の切り方など要領を柳吉は知らないから、経験ある種吉に教わる必要があったのだ。種吉は若い頃お辰の国元の大和から車一台分の西瓜を買って、十六の夜店で切り売りしたことがある。その頃蝶子はまだ二つで、お辰が背負うて、つまり親娘三人総出で、一晩に二百個売れたと種吉は昔話をし喜んで手伝うことを言った。
種吉は娘夫婦の商売を手伝うことが嬉しくてたまらぬ風であった。店びらきの日、筋向いにも果物屋があるのを見て、「西瓜屋の向いに西瓜屋が出来て、西瓜《すいた》同志の差し向い」と淡海節の文句を言いだした。その果物屋は店の半分が氷店になっているのが強味で、氷かけ西瓜で客を呼んだから、白然蝶子たちは切身の厚さで対抗しなければならなかった。が、言われなくとも種吉の切り方は頗る気前が良かった。一個八十銭の西瓜で十銭の切身何個と胸算用して、柳吉がハラハラすると、種吉は、「切身でまけて丸口で儲けるんや。損して得とれや」と言った。そして、
「ああ西瓜や、西瓜や、うまい西瓜の大安売りや!」
と、派手な呼び声を出した。向い側の呼び声もなかなか負けていなかった。蝶子も黙って居られず、
「安い西瓜だっせエ!」
と、金切り声を出した。それが愛嬌で客が来た。蝶子は鞄のような大きな財布を首から吊して、売り上げを入れたり、釣銭を出したりした。
柳吉は割合熱心に習ったので、四五日すると西瓜を切る要領などを覚えた。種吉は丁度生国魂の祭で例年通りお渡御《わたり
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