》の人足に雇われたのを機会に、手を引いた。帰りしな、林檎はよくよくふきんで拭いて艶を出すこと、水蜜桃には手を触れぬこと、いったいに果物は埃を嫌うゆえ始終はたきをかけることなど念押して行った。
その通りに心掛けたが、しかしどういうものか足が早くて水蜜桃など瞬く間に腐敗した。店へ飾って置けぬから、辛い気持で捨てた。毎日捨てる分が多かった。といって品物を減らすと店が貧相になるので、仕入れを少なくするわけにも行かず、巧く捌けないと焦りが出た。儲けもあるが損も勘定に入れねばならず、果物屋も容易な商売ではないとだんだん分って来ると、急に柳吉に元気がなくなった。
蝶子は柳吉がもう果物屋商売に飽きたのかと、心配しだした。が、その心配より先に柳吉は病気になった。もうせんから柳吉はげてもの料理を食べ過ぎたせいか胃腸が悪くて、二ツ井戸の実費医院《じっぴ》へ通い通いしていたが、こんどは尿に血がまじって、小用の時泣声を立てた。実費医院で診て貰うと、泌尿科の専門医へ行くが良かろうとのことで、島ノ内のK病院が有名だときいて、診せると、膀胱がわるいという。
十月ばかり通ったが、はかばかしくなおらなかった。みるみる痩せて行った。蝶子も身体は肥えていたが、眼のふちが黝み、柳吉の病気が気がかりでならなかった。診立て違いということもあるからと、市民病院で診て貰うと、果して違っていた。レントゲンを掛けて腎臓結核だとわかった。その日から、入院した。
附添いのため店を構っていられなかったので、蝶子は止むなく店を閉めた。果物が腐って行くことが残念だったから、種吉に店の方を頼もうと思ったのだが、運の悪い時はどうにも仕様のないもので、母親のお辰が四五日まえから寝ついていたのだ。子宮癌とのことで、今日明日がむつかしかった。
柳吉が腎臓を片一方切るという大手術を受けた翌朝、お辰は死んだ。蝶子は柳吉の傍に附き切りで、母親の死に目に会えなかった。柳吉の命が助かったことだけがせめてもの慰めだったが、しかし、親不孝者だという気持は矢張りチクチク胸を刺して来た。お辰は蝶子が駈けつけて来ぬことをすこしも恨まず、それどころか、「維康さんも蝶子のために、苦労して来やはった。維康さんの手術《しりつ》が味善《あんじょ》ういってくれたら、わては蝶子の顔見んと死んでも満足や」と、蝶子を俥で迎えに言ってやろうといいだした他吉へ言った――ときいて、さすがに蝶子は身もだえした。
葬式にだけは出て、そして病院へ飛んで帰って来ると、十二三の女の子を連れた若い女が見舞いに来た。顔かたちを見るなり、柳吉の妹だと分った。はっと緊張し、
「よう来て呉れはりました」
初対面の挨拶代りにそう言って、愛想笑いを泛べた。母親の葬式の日に笑顔を見せるのは辛かったが渋い顔は気性からいって出来なんだ。連れて来た女の子は柳吉の娘だった。ことし四月から女学校に上っていて、セーラー服を着ていた。頭を撫でると、顔をしかめた。
主に病気の話をして、半時間ののち柳吉の妹は帰って行った。送って廊下へ出ると柳吉の妹は、
「おうちの苦労はお父さんもこの頃よう知ったはりまっせ。よう尽してくれはる、こない言うてはります」
と言い、そっと金を握らせた。蝶子はこの言葉を本当と思いたかった。死んだ母親にきかせたかった。二年前、柳吉の家から人が来て、別れ話が出されたことなども、ちらと想い出された。
柳吉はやがて退院して、湯崎[#「湯崎」は底本では「湯畸」と誤記]温泉へ出養生した。費用は蝶子がヤトナで稼いで仕送りした。二階借りするのも不経済だったから、蝶子は種吉の所で、寝泊りした。他吉は種吉に、
「種さん、おまはんはええ子をもった。わいは昔蝶子はんのことあんな風に言ったけど、悪う思いなや。いや、実際感心な娘やなあ」
と、言った。
ところが、柳吉は湯崎で毎日散財していたのだ。見舞いがてら湯崎へ出向いた蝶子は、柳吉が妹からもこっそり送金させていたと知って、気が狂ったようになった。
「兄妹やから、なにもお金を送らせて、わるい法はないけど、しかし、それではわての苦労がなんにもならん。散財さえしてくれなんだら、わてだけの力であんたを養生させられた筈や」
柳吉と一緒に湯崎から大阪へ帰ると、蝶子は松坂屋の裏に二階借りした。相変らずヤトナに出た。こんど二階借りをやめて一戸構え、ちゃんとした商売をするようになれば、柳吉の父親もえらい女だと褒めてくれ、天下晴れて夫婦《めおと》になれるだろうとはげみを出した。その父親はもう十年以上も中風で寝ていて、普通ならとっくに死んでいるところを持ちこたえているだけに、いつ死なぬとも限らず、生きているうちにと蝶子は焦った。が、柳吉はまだ病後の身体で、滋養剤を飲んだり、注射を打ったりして、それがきびしい物入りだったから、半年経って
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