から、理屈ではなかっただけに、一そう君枝の腑に落ちていたのだった。
 無智な他吉は、理屈がうまく言えず、ただもう蝸牛《かたつむり》の触角のように本能的な智慧を動かして、君枝を育てて来たのだが、それで、それなりに、君枝は一筋の道を歩かされて来たとでもいうべきだろうか。
 それにしても、たしかに日の丸湯の給料はやすかった。
 ナミオ商会では、見習期間の給料が手弁当の二十五円で、二月経つと三十円であった。なお、年二回の昇給のほかに賞与もあり、さらに主任の話によれば、
「なんし、広い大阪やさかい、電話をもってながら、申込んでさえ置けば、ちゃんと消毒婦を派遣してくれるちゅううちのような便利なもんのあるのを、知らん家がある。そういう家へはいって、契約の勧誘をどしどし取ってくれれば、成績によっては、特別手当もだすさかいな、気張って契約とっとくなはれや」
 十年前といまでは金の値打ちがちがうとはいえ、しかし、尋常を出ただけにしては、随分良い待遇だと君枝はびっくりしたが、その代り下足番の時とちがって、仕事はらくではなかった。
 朝八時にいったん商会へ顔を出して、その日の訪問表と消毒液をうけとる。
 それから電話機の掃除に廻るのだが、集金のほかに、電話のありそうな家をにらんではいって、月一円五十銭で三回の掃除と消毒液の補充をすることになっている。なんでもないもののようだが、電話機ほど不潔になりやすいものはないと呑み込ませて、契約もとらねばならず、「おいでやす」と「まいどおおけに」だけでこと足りた下足番に比べて、気苦労が大変だった。
 年頃ゆえの恥かしさは勿論だが、それに彼女は美貌だった。
 消毒を済ませ、しるしの認印をもらって、消毒機をこそこそ風呂敷包みのなかにしまって出て行く時、
「おやかまっさんでした」
 という声の出ないほど、顔から火を吹きだし、腹の立つこともあった。
 おまけに、大阪の端から端まで、下駄というものはこんなにちびるものかと呆れるくらい、一日じゅうせかせかと歩きまわるので、からだがくたくたに疲れるのだ。
 北浜の株屋を後場が引けてから一軒々々まわって、おびただしい数の電話を消毒したあとなど、手がしびれた。
「ああ、辛度《しんど》オ」
 思わず溜息が出て、日傘をついて、ふと片影の道に佇む、――しかし、そんな時、君枝をはげますのは、
「人間はからだを責めて働かな嘘や」

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