照れた。お辰はすかさず、
「敬さん、剃刀でもシャンプーでも用あったら、注文したっとくなはれや」
 と、言った。
 東西屋が天婦羅をふるまって貰って、行ってしまうと、にわかに黄昏れて来た。
 日の丸湯へ戻り、ふと女湯の障子にはめられた赤、紫、黄、青の色硝子に湯槽の湯がゆらゆらと映って、霞んでいるのを、いつもとちがうしみじみとした美しさだと見上げていると、
「上り湯ぬるおまっせ」
 羅宇しかえ屋のお内儀の声がし、暫らくすると、季節はずれの大正琴の音がきこえて来た。曲は数え歌の「一つとや」
 朝日軒の義枝は去年なくなり、弾いているのは末の娘の持子で、二十二歳、もちろん姉たちと一緒に独身で、すぐ上の兄の敬助は郵船会社へ勤めているが毎日牛乳を三合のみ、肺がわるかった。
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   第三章 昭和

     1

 十年が経った。
 君枝は二十歳、女の器量は子供の時には判らぬものだといわれるくらいの器量よしになっていた。
 マニラへ行く前から黒かったという他吉の孫娘とは思えぬほど色も白く、
「あれで手に霜焼けひび赤ぎれさえ無かったら申し分ないのやが……」
 と言われ、なお愛嬌もよく、下足番をして貰うよりは番台に坐ってほしいと日の丸湯の亭主が言いだしたので、他吉はなにか狼狽して、折角だがと暇をとらせた。
 そうして、寺田町のナミオ商会という電話機消毒婦の派出会へ雇われてみると、日の丸湯で貰っていた給料がどんなに尠なかったかがはじめて判った。
 あれほど銭勘定のやかましかった他吉が、ついぞこれまでそのことを口にしなかったのは、まるで嘘のようであったが、君枝もまた余程うかつで、ただ他吉のいいなりに、只同然の給料で十年黙々と下足番をして来たのだった。
 つまりは、ベンゲット道路の工事は日給の一ペソ二十五セントだけを考えていては、到底やりとげる事は出来なかったという他吉の口癖が、いつか君枝の皮膚にしみついていたのだろうか。
 ベンゲットで砂を噛み、血を吐くくらいの苦しみを苦しんだ、どんな辛さにもへこたれなかった、そして最後まで工事をやり遂げたという想いだけが、他吉の胸にぶら下るただひとつの勲章だと、君枝にもわかっていた。
「文句を言わずに、ただもうせえだい働いたら良えのや。人間は働くために生れて来たのや。らく[#「らく」に傍点]をしよ思たらあかんぜ」
 この日頃の他吉の言葉は、だ
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