蒲団かぶって寝ていたのだと、ぶつぶつ言うと、君枝はぺたりと尻餅ついて、ああ、えらいことになってしもたと、子供心にこたえたようだった。
 俥がなくては商売が出来ず、まる二日は魂が抜けたようになって、あちこち探しまわったり、
「ああ、もう焼糞や。焼の勘八、日焼けの茄子や」
 と言いながら、畳の上に仰向けになってごろんごろんしていた。
 が、三日目の黄昏前、君枝がさすがに浮かぬ顔をして下足の番をしていると、
[#ここから2字下げ、底本では一行目は1字下げ]
「えーうどんの玉ア
あつあつのお玉ちゃん
白い着物《べべ》きて朝から晩まで湯にはいり
つるつるの肌した
別嬪ちゃんのお玉ちゃん
十オあって五銭」
[#ここで字下げ終わり]
 と触れ歩いている声がきこえ、よく聴くと他吉の声だった。
 もう腰の曲る歳で、荷が重いらしく、声もしわがれていた。
「まいどおおけに」
 下足を渡して、客の出たあとより飛んで出ると、他吉はにこにこしながら、
「どや似合うか」
「よう似合《にお》てるわ」
 君枝の声に合わせて、種吉も天婦羅あげながら、
「他あやん、おまはんその方がよう似合てるぜ。声もわるないな」
「そやろか」
 他吉は嬉しそうに言って、
「――種さん、人間はお前、どないでもして食べて行けるもんやな。人間はへこたれたらあかんぜ」
 これは半分君枝にもきかせ、そして、天びんを左肩へ置きかえると、
「えーうどんの玉ア……」
 やがて、声も姿もちいさくなった。
 風に吹かれて佇み、見送っていると、向うから東西屋が来て、河童路地の入口で停った。
 そして、口上を述べだすと、種吉は路地の奥へ飛んで行き、直ぐお辰と一緒に出て来た。
 柳吉と蝶子が高津神社坂下に間口一間、奥行三間半のちっぽけな店を借りうけてはじめた剃刀店の売り出しの東西屋らしいと、きいて君枝にもおぼろげに判った。
「ひとつうちのお父つぁん[#底本では「お父っあん」となっている]の天婦羅の店の前で、景気ようやっとくれやす」
 蝶子は東西屋に言ったのであろう、東西屋は今朝蝶子たちの店の前でやったのと同じくらい念入りに賑やかに口上を述べた。
 朝日軒の敬吉が出て来て、
「種さん、おまはんもこいで一安心やな」
 と、言うと、
「さいな。売れてくれると宜しおまっけど、さて開いて見たら、耳かきぐらいしか売れへんのとちがいまっか」
 種吉はちょっと
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