一体どないした言うねん?」
「へえ。娘の婿めが、あんた、マニラでころっと逝きよりましてな」
「マニラ……? マニラてねっから聴いたことのない土地やが、何県やねん」
「阿呆なこと言いなはんな」
ポロポロ涙を落しながら、マニラは比律賓の首府だと説明すると、
「さよか、しかし、なんとまた遠いとこイ行ったもんやなあ」
「マラソンの選手でしたが……」
「ほんまかいな、しかし、可哀相に……。そいで、なにかいな。その娘はんちゅうのは子たちが……?」
あるのかと訊かれて、またぽろりと出た。
「まあ、おまっしゃろ」
「まあ、おまっしゃろや、あれへんぜ。男の子オか」
「それがあんた、未だ生れてみんことにゃ……」
新世界の寄席の前で客を降ろすと、他吉はそのまま引きかえさず、隣の寄席で働いている娘の初枝を呼びだした。
「お父つぁん[#底本では「お父っあん」となっている]なんぞ用か」
出て来た初枝は姙娠していると、一眼で判るからだつきだった。
他吉はあわてて眼をそらし、
「うん。ちょっと……」
と、言いかけたが、あと口ごもって、
「――ちょっと〆さんの落語でもきかせてもらおか思てな……」
寄ったんだと、咄嗟に心にもないことを言うと、
「めずらしいこっちゃな。あんな下手糞な落語ようきく気になったな。そんなら、俥誰ぞに見てもろてるさかい、はよ、聴いてきなはれ」
「いや、もう、やめとくわ。それより、ちょっとお前に話があるねん」
そして、寄席を出て、空の俥をひきながら歩きだすと、初枝は、
「話やったら、ここで言うたら、ええやないか。けったいやなあ」
と言いながら、前掛けをくるりと腹の上へ捲きつけて、随いて来た。
活動小屋の絵看板がごちゃごちゃと並んだ明るい新世界の通りを抜けると、道は急にずり落ちたような暗さで、天王寺公園だった。
樹の香が暗がりに光って、瓦斯燈の蒼白いあかりが芝生を濡らしていた。
美術館の建物が小高くくろぐろと聳え、それが異国の風景めいて、他吉は婿の新太郎を想った。
白いランニングシャツを着た男が、グラウンドのほの暗い電燈の光を浴びて、自転車の稽古をしている。それが木の葉の隙間から影絵のように蠢いて見えた。
動物園から猛獣の吼声がきこえて来た。ラジュウム温泉の二階で素人浄瑠璃大会でも催されているらしく、太の三味線の音がかすかにきこえた。
丁稚らしい男がハ
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