ときいて、さすがに蝶子は身もだえした。
 葬式にだけは出て、そして病院へ飛んで帰って来ると、十二三の女の子を連れた若い女が見舞いに来た。顔かたちを見るなり、柳吉の妹だと分った。はっと緊張し、
「よう来て呉れはりました」
 初対面の挨拶代りにそう言って、愛想笑いを泛べた。母親の葬式の日に笑顔を見せるのは辛かったが渋い顔は気性からいって出来なんだ。連れて来た女の子は柳吉の娘だった。ことし四月から女学校に上っていて、セーラー服を着ていた。頭を撫でると、顔をしかめた。
 主に病気の話をして、半時間ののち柳吉の妹は帰って行った。送って廊下へ出ると柳吉の妹は、
「おうちの苦労はお父さんもこの頃よう知ったはりまっせ。よう尽してくれはる、こない言うてはります」
 と言い、そっと金を握らせた。蝶子はこの言葉を本当と思いたかった。死んだ母親にきかせたかった。二年前、柳吉の家から人が来て、別れ話が出されたことなども、ちらと想い出された。
 柳吉はやがて退院して、湯崎[#「湯崎」は底本では「湯畸」と誤記]温泉へ出養生した。費用は蝶子がヤトナで稼いで仕送りした。二階借りするのも不経済だったから、蝶子は種吉の所で、寝泊りした。他吉は種吉に、
「種さん、おまはんはええ子をもった。わいは昔蝶子はんのことあんな風に言ったけど、悪う思いなや。いや、実際感心な娘やなあ」
 と、言った。
 ところが、柳吉は湯崎で毎日散財していたのだ。見舞いがてら湯崎へ出向いた蝶子は、柳吉が妹からもこっそり送金させていたと知って、気が狂ったようになった。
「兄妹やから、なにもお金を送らせて、わるい法はないけど、しかし、それではわての苦労がなんにもならん。散財さえしてくれなんだら、わてだけの力であんたを養生させられた筈や」
 柳吉と一緒に湯崎から大阪へ帰ると、蝶子は松坂屋の裏に二階借りした。相変らずヤトナに出た。こんど二階借りをやめて一戸構え、ちゃんとした商売をするようになれば、柳吉の父親もえらい女だと褒めてくれ、天下晴れて夫婦《めおと》になれるだろうとはげみを出した。その父親はもう十年以上も中風で寝ていて、普通ならとっくに死んでいるところを持ちこたえているだけに、いつ死なぬとも限らず、生きているうちにと蝶子は焦った。が、柳吉はまだ病後の身体で、滋養剤を飲んだり、注射を打ったりして、それがきびしい物入りだったから、半年経って
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