れて揺れて、笑ったが、彼女の瞳からは、涙が勝手に溢れていた。

 しばらくすると、シイカは想いだしたように、卓子《テーブル》の上の紙包みを解《ほど》いた。その中から、美しい白耳義《ベルギー》産の切子硝子《カットグラス》の菓子鉢を取りだした。それを高く捧げてみた。電灯の光がその無数の断面に七色の虹を描きだして、彼女はうっとりと見入っていた。
 彼女の一重瞼をこんなに気高いと思ったことはない。彼女の襟足をこんなに白いと感じたことはない。彼女の胸をこんなに柔かいと思ったことはない。
 切子硝子がかすかな音を立てて、絨氈《じゅうたん》の敷物の上に砕け散った。大事そうに捧げていた彼女の両手がだらりと下った。彼女は二十年もそうしていた肩の凝りを感じた。何かしらほっとしたような気安い気持になって、いきなり男の胸に顔を埋めてしまった。
 彼女の薬指にオニックスの指輪の跡が、赤く押されてしまった。新調のモーニングに白粉の粉がついてしまった。貞操の破片が絨氈の上でキラキラと光っていた。

 卓上電話がけたたましく鳴った。
――火事です。三階から火が出たのです。早く、早く、非常口へ!
 廊下には、開けられた
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