われて、西洋人が讃美し憧憬する広重の錦絵《にしきえ》に見る、隅田の美しい流れも、現実には煤煙《ばいえん》に汚れたり、自動車の煽《あお》る黄塵《こうじん》に塗《まみ》れ、殊に震災の蹂躙《じゅうりん》に全く荒れ果て、隅田の情趣になくてはならない屋形船《やかたぶね》も乗る人の気分も変り、型も改まって全く昔を偲《しの》ぶよすがもない。この屋形船は大名遊びや町人の札差《ふださ》しが招宴に利用したもので、大抵は屋根がなく、一人や二人で乗るのでなくて、中に芸者の二人も混ぜて、近くは牛島、遠くは水神の森に遊興したものである。
◇
向島は桜というよりもむしろ雪とか月とかで優れて面白く、三囲《みめぐり》の雁木《がんぎ》に船を繋《つな》いで、秋の紅葉を探勝することは特によろこばれていた。季節々々には船が輻輳《ふくそう》するので、遠い向う岸の松山に待っていて、こっちから竹屋! と大声でよぶと、おうと答えて、お茶などを用意してギッシギッシ漕《こ》いで来る情景は、今も髣髴《ほうふつ》と憶《おも》い出される。この竹屋の渡しで向島から向う岸に渡ろうとする人の多くは、芝居や吉原に打興《うちきょう》じようとする者、向島へ渡るものは枯草の情趣を味うとか、草木を愛して見ようとか、遠乗りに行楽しようとか、いずれもただ物見遊山《ものみゆさん》するもののみであった。
◇
向島ではこれらの風流人を迎えて業平《なりひら》しじみとか、紫鯉とか、くわいとか、芋とか土地の名産を紹介して、いわゆる田舎料理麦飯を以《も》って遇し、あるいは主として川魚を御馳走《ごちそう》したのである。またこの地は禁猟の域で自然と鳥が繁殖し、後年|掟《おきて》のゆるむに従って焼き鳥もまた名物の一つになったのである。如上|捕捉《ほそく》する事も出来ない、御注文から脱線したとりとめもないものに終ったが、予めお断りして置いた通り常にプレイする以外に研究の用意も、野心もない私に、組織的なお話の出来ようはずがないから、この度はこれで責《せめ》をふさぐ事にする。[#地から1字上げ](大正十四年八月二十四、五、六日『日本新聞』)
底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年8月18日第1刷発行
※「ミケンジャク」のあとに編集部の注記がありますが、除きました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年2月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
淡島 寒月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング