明治十年前後
淡島寒月

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)読本《よみほん》とか

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)日本橋|馬喰町《ばくろちょう》)の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](大正十四年三月『早稲田文学』二二九号)
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 明治十年前後の小説界について、思い出すままをお話してみるが、震災のため蔵書も何も焼き払ってしまったので、詳しいことや特に年代の如きは、あまり自信をもって言うことが出来ない。このことは特にお断りして置きたい。
 一体に小説という言葉は、すでに新しい言葉なので、はじめは読本《よみほん》とか草双紙《くさぞうし》とか呼ばれていたものである。が、それが改ったのは戊辰《ぼしん》の革命以後のことである。
 その頃はすべてが改った。言い換えれば、悉《ことごと》く旧物を捨てて新らしきを求め出した時代である。『膝栗毛』や『金の草鞋《わらじ》』よりも、仮名垣魯文《かながきろぶん》の『西洋道中膝栗毛』や『安愚楽鍋』などが持《も》て囃《はや》されたのである。草双紙の挿絵《さしえ》を例にとって言えば、『金花七変化』の鍋島猫騒動《なべしまねこそうどう》の小森半之丞に、トンビ合羽《がっぱ》を着せたり、靴をはかせたりしている。そういうふうにしなければ、読者に投ずることが出来なかったのである。そうしてさまざまに新しさを追ったものの、時流には抗し難く、『釈迦八相記』(倭《やまと》文庫)『室町源氏』なども、ついにはかえり見られなくなってしまった。
 戯作者《げさくしゃ》の殿《しんが》りとしては、仮名垣魯文と、後に新聞記者になった山々亭有人《さんさんていありんど》(条野採菊《じょうのさいぎく》)に指を屈しなければならない。魯文は、『仮名読新聞』によって目醒《めざ》ましい活躍をした人で、また猫々道人《みょうみょうどうじん》とも言ったりした。芸妓を猫といい出したのも、魯文がはじめである。魯文は後に『仮名読新聞』というものを創設した。それは非常に時流に投じたものであった。つづいて前田夏繁《まえだなつしげ》が、香雪という雅号で、つづきものを、『やまと新聞』のはじめに盛んに書き出した。
 その頃は作者の外に投書家というものがあって、各新聞に原稿を投じていた。彼らのなかからも、注目す
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