土俗玩具の話
淡島寒月

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)満足せしむる底《てい》の

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)僧|円珍《えんちん》が

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](大正十四年九月『副業』第二巻第九号)
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       一

 玩具と言えば単に好奇心を満足せしむる底《てい》のものに過ぎぬと思うは非常な誤りである。玩具には深き寓意と伝統の伴うものが多い。換言すれば人間生活と不離の関係を有するものである。例えば奥州の三春駒《みはるごま》は田村麻呂将軍が奥州征伐《おうしゅうせいばつ》の時、清水寺の僧|円珍《えんちん》が小さい駒を刻《きざ》みて与えたるに、多数の騎馬武者に化現《かげん》して味方の軍勢を援《たす》けたという伝説に依《よ》って作られたもので、これが今日|子育馬《こそだてうま》として同地方に伝わったものである。日向《ひゅうが》の鶉車《うずらぐるま》というのは朝鮮の一帰化人が一百歳の高齢に達した喜びを現わすために作ったのが、多少変形して今日に伝ったのである。米沢の笹野観音で毎年十二月十七、八日の両日に売出す玩具であって、土地で御鷹というのは素朴な木彫で鶯《うぐいす》に似た形の鳥であるが、これも九州|太宰府《だざいふ》の鷽鳥《うそどり》や前記の鶉車の系統に属するものである。
 鷹山《ようざん》上杉治憲《うえすぎはるのり》公が日向|高鍋《たかなべ》城主、秋月家より宝暦十年の頃十歳にして、米沢上杉家へ養子となって封を襲うた関係上、九州の特色ある玩具が奥州に移ったものと見られる。仙台地方に流行するポンポコ槍《やり》の尖端《せんたん》に附いている瓢《ひさご》には、元来穀物の種子が貯えられたのである。これが一転して玩具化したのである。

       二

 かく稽《かんが》えて見ると、後世全く無意味|荒唐《こうとう》と思われる玩具にも、深き歴史的背景と人間生活の真味が宿っている事を知るべきである。アイヌの作った一刀彫《いっとうぼり》の細工ものにも、極めて簡素ではあるが、その形態の内に捨て難き美を含んでいるのである。
 地方|僻遠《へきえん》の田舎に、都会の風塵から汚されずに存在する郷土的玩具や人形には、一種言うべからざる簡素なる美を備え、またこれを人文研
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