究史上から観て、頗《すこぶ》る有意義なるものが多いのであるが、近来交通機関が益々発達したると、都会風が全く地方を征服したるとに依り、地方特有の玩具が益々影が薄れて来て、多くは都会化した玩具や、人形を作るようになって来たのは如何にも遺憾《いかん》である。
 郷土的な趣味や雅致《がち》あるものも、購買者が少なければ、製作者もこれに依って生活が出来ぬという経済的原因に支配されて、保存さるべきものが、保存されずに亡び行くことは惜みても余りあることである。

       三

 都会的趣味は、一面地方を侵害しては行くが、物価の高い都会生活では、到底製作出来ぬようなものを、比較的生活費が低いのと、生活|環境《かんきょう》が安定しているのとで、非常に面白味のある玩具が、或る地方には今なお製作されている処もある。
 かくの如きものは是非とも保存して、その地方の一特産としたいものである。その他に趣味上保存すべき郷土的人形や、玩具に対しても保護を加えて存続させたいものである。近来|市井《しせい》に見かける俗悪な色彩のペンキ塗のブリキ製玩具の如きは、幼年教育の上からいうも害あって益なかるべしと思うのである。
 玩具及び人形は単に一時の娯楽品や、好奇心を満足せしむるを以《も》ってやむものでない事は、人類最古の文明国たりし埃及《エジプト》時代に已《すで》に見事なものが存在したのでも知られる。英国の博物館には、四、五千年前のミイラの中から発見された玩具が陳列されてあるのである。これに依って見ても玩具は人類の生活と共に存在したことが想われる。
 玩具は人類の思想感情の表現されたものである事は、南洋の蛮人の玩具が怪奇にして、文明国民の想像すべからざる形態を有するに見ても知るべきである。概《がい》して野蛮人は人を恐怖せしむるが如きものを表現して喜ぶ傾向を有するのである。されば玩具や人形は、単に無智なる幼少年の娯楽物に非《あら》ずして、考古学人類学の研究資料とも見るべきものである。茲《ここ》において我が地方的玩具の保護や製作を奨励《しょうれい》する意味が一層|深刻《しんこく》になるのである。[#地から1字上げ](大正十四年九月『副業』第二巻第九号)



底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店
   1999(平成11)年8月18日第1刷発行
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年2月9日作成

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