みになっている。それからこの間、『耽奇漫録《たんきまんろく》』から模したのですが、日向国《ひゅうがのくに》高鍋《たかなべ》の観音の市に売るという鶉車《うずらぐるま》の玩具や、また筑後柳河で作る雉子車《きじぐるま》、この種の物は形が古雅で、無器用な処に面白味がある。この節では玩具一つでも、作方《つくりかた》が巧みになって来たのは勿論であるが、面白味がなくなった。例えていえば昔の狐の面を見ると、眼の処に穴が空いていないが、近頃のはレースで冠って見えるようになっているなども、玩具の変遷《へんせん》の一例でしょう。面といえば昔は色々の形があった。僕の子供の時代であるから、安政度であるが、その時分の玩具には面が多くあって、おかめ、ひょっとこ、狐は勿論、今|一向《いっこう》見かけない珍らしいのでは河童《かっぱ》、蝙蝠《こうもり》などの面があったが、近頃は面の趣味は廃《すた》ったようだ。元来僕は面が大好きでしてね。その頃の僕の家ですから、僕が面が好きだというので、僕の室の欄間《らんま》には五、六十の面を掛けて、僕のその頃の着物は、袂《たもと》の端に面の散《ちら》し模様が染めてあって、附紐《つけひも》
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