、グリーンランドの熊狩とか、そんな風な絵を沢山に入れて、暗くすると夜景となる趣向をしましたが、余り繁昌したので面倒になり知人ででもなければ滅多《めった》にこの夜景と早替りの工夫をして見せませんでした。このレンズは初め土佐の山内侯が外国から取寄せられたもので、それが渡り渡って典物《てんぶつ》となり、遂に父の手に入ったもので、当時よほど珍物に思われていたものと見えます。その小屋の看板にした万国一覧の四字は、西郷さんが、まだ吉之助といっていた頃に書いて下さったものだといいます。それで眼鏡を見せ、お茶を飲ませて一銭貰ったのです。処で例の新門辰五郎《しんもんたつごろう》が、見世物をするならおれ[#「おれ」に傍点]の処に渡りをつけろ、といって来た事がありました。しかし父は変lですし、それに水戸の藩から出た武士|気質《かたぎ》は、なかなか一朝一夕にぬけないで、新門のいう話なぞはまるで初めから取合わず、この興行の仕舞まで渡りをつけないで、別派の見世物として取扱われていたのでした。
 それから次には伊井蓉峰《いいようほう》の親父《おやじ》さんのヘヾライ[#「ヘヾライ」に傍点]さん。まるで毛唐人《けとうじ
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