いせつ》な歌を、何ともいえぬ好い喉で歌うのですが、歌は猥褻な露骨なもので、例を出すことも出来ないほどです。鮨売《すしうり》の粋な売声では、例の江※[#「魚+祭」、第4水準2−93−73]《こはだ》の鮨売などは、生粋《きっすい》の江戸前でしたろう。この系統を引いてるものですが、治郎公のは声が好いというだけです。この治郎公の息子か何かが、この間まで本石町《ほんこくちょう》の人形屋光月の傍に鮨屋を出していましたっけ。市区改正後はどうなりましたか。
この時分、町を歩いて見てやたらに眼に付いて、商売家になければならぬように思われたのは、三泣車《さんなきぐるま》というのです。小僧が泣き、車力が泣き、車が泣くというので、三泣車といったので、車輪は極く小《ちいさ》くして、轅《ながえ》を両腋《りょうわき》の辺《あたり》に持って、押して行く車で、今でも田舎の呉服屋などで見受ける押車です。この車が大いに流行ったもので、三泣車がないと商家の体面にかかわるという位なのでした。それから明治三、四年までは、夏氷などいうものは滅多《めった》に飲まれない、町では「ひやっこい/\」といって、水を売ったものです。水道の水
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