を通って段々見て行くと、最後に人形が引抜《ひきぬ》きになって、人間が人形の胴の内に入って目出たく踊って終《はね》になるというのが多かったようです。この怪談仕掛物の劇《はげ》しいのになると真の闇《やみ》の内からヌーと手が出て、見物の袖を掴《つか》んだり、蛇が下りて来て首筋へ触ったりします。こんなのを通り抜けて出ることが出来れば、反物《たんもの》を景物《けいぶつ》に出すなどが大いに流行ったもので、怪談師の眼吉などいうのが最も名高かった。戦争の後ですから惨忍な殺伐なものが流行り、人に喜ばれたので、芳年《よしとし》の絵に漆《うるし》や膠《にかわ》で血の色を出して、見るからネバネバしているような血だらけのがある。この芳年の絵などが、当時の社会状態の表徴でした。
 見世物はそれ位にして、今から考えると馬鹿々々しいようなのは、郵便ということが初めて出来た時は、官憲の仕事ではあり、官吏の権威の重々《おもおも》しかった時の事ですから、配達夫が一葉の端書《はがき》を持って「何の某《なにがし》とはその方どもの事か――」といったような体裁でしたよ。まだ江戸の町々には、木戸が残ってあった頃で、この時分までは木戸
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