江戸か東京か
淡島寒月
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)馬喰町《ばくろちょう》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)両国|馬喰町《ばくろちょう》辺の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)江※[#「魚+祭」、第4水準2−93−73]《こはだ》の
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)大きいもの/\と
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私が子供の時に見たり聞いたりしたことを雑然とお話しようが、秩序も何もありませんよ。その上子供の時の事ですから、年代などは忘れてしまってる。元治慶応明治の初年から十五、六年までの間です。私が住っていた近くの、浅草から両国|馬喰町《ばくろちょう》辺の事ですか――さようさね、何から話して好いか――見世物ですな、こういう時代があった。何でもかんでも大きいものが流行《はや》って、蔵前《くらまえ》の八幡の境内に、大人形といって、海女《あま》の立姿の興行物があった。凡《およ》そ十丈もあろうかと思うほどの、裸体の人形で、腰には赤の唐縮緬《からちりめん》の腰巻をさして下からだんだん海女の胎内に入るのです。入って見ると彼地此地《あちこち》に、十ケ月の胎児の見世物がありましたよ。私は幾度も登ってよくその海女の眼や耳から、東京市中を眺《なが》めましたっけ。当時「蔵前の大人形さぞや裸で寒かろう[#「蔵前の大人形さぞや裸で寒かろう」に傍点]」などいうのが流行った位でした。この大人形が当ったので、回向院《えこういん》で江の島の弁天か何かの開帳があった時に、回向院の地内に、朝比奈三郎の大人形が出来た。五丈ほどありまして、これは中へ入るのではなく、島台《しまだい》が割れると、小人島の人形が出て踊るというような趣向でした。それから浅草の今パノラマのある辺《あたり》に、模型富士山が出来たり、芝浦にも富士が作られるという風に、大きいもの/\と目がけてた。可笑《おかし》かったのは、花時《はなどき》に向島《むこうじま》に高櫓《たかやぐら》を組んで、墨田の花を一目に見せようという計画でしたが、これは余り人が這入《はい》りませんでした。今の浅草の十二階などは、この大きいものの流行の最後に出来た遺物です。これは明治前でしたが、当時の両国橋の繁
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