、誠に単純なもののみのフィルムで、随《したが》って尺も短いから、同じものを繰り返し繰り返しして映写したのであった。しかしながら、それでさえその時代には物珍《ものめず》らしさに興を催したのであった。今日の連続物などと比較して考えて見たならば、実に隔世の感があるであろう。
 ところで、かつて外人の評として、伊太利《イタリー》製のものはナポリだとかフローレンだとかローマとかを背景にするから、クラシカルなものには適当で、古代を味うには頗《すこぶ》る興味があるが、新らしい即ち現代を舞台とする筋のものでは、やはり米国製のものであろうといっているけれども、米国製品にしばしば見るカウボーイなどを題材にしたものは、とかくに筋や見た眼が同一に陥《おちい》りやすくて面白味がない。けれども探偵物となるとさすがに大仕掛《おおじかけ》で特色を持っている。しかしこれらの探偵物は、ただほんのその場限りの興味のもので、後で筋を考えては誠につまらないものである。
 三、四年前位に、マックス、リンダーの映画が電気館あたりで映写されて当りをとった事がある。ちょっとパリジァンの意気《いき》な所があって、今日のチャプリンとはまた
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