であった。筋はクララ・ヤング嬢の扮するローラという娘の父なる博士は「死」を「生」に返すことを発明したのであった。その博士の娘は、誠に心掛けのやさしいもので、常に慈善事業などのために尽力していたが、或る日自動車に轢《ひ》かれて死んでしまった。博士は自分の発明した術を以って、娘を生き返えらせたのであった。ところが人間という物質としては再びこの世に戻って来たが、かつての優しい心根は天に昇ってまた帰すすべもなかった。物質的に生き返って来た娘の精神もまた、物質的となって再生後の彼女は前と打って変った性格の女となって世にあらゆる害毒を流すのであった。その中《うち》ある医者から、あなたは激怒した場合に、必らず死ぬということをいわれた。彼女はこの事が気にかかって、或る時父なる博士に向って、もし私がまた死んだ場合には、前のように生き返らせてくれと頼んだけれども、父は前に懲《こ》りて拒絶したので、彼女は再三《さいさん》押問答の末|終《つい》に激怒したのであった。その瞬間彼女の命は絶えた。博士はさすがに我が子のことであるから、再び生き返らせようとして、彼女の屍《しかばね》に手を掛けたが、またも世に出る彼女の前途を考えて、終に思い止《とど》まり、かつその発明をも捨ててしまったのであった。
 要するに物質的の進歩が、精神的に何んの効果も齎《もた》らさないという宗教的の画面に写し出されたものであったが、私の見たのはそれ以外に何か暗示を与えられたように感じたのであった。後から後からといろいろな写真を見ていると、大方は印象を残さずに忘れてしまうのであるが、こういうトラヂエデーは、いつまでも覚えていて忘れないのである。しかしこういうものよりも、もっと必要と感ずるのは、帝国館などで紹介している「ユニバーサル週報」の如く、外国の最近の出来事を撮影紹介するものである。これらこそ最も活動写真を実益の方面に用いたものであって、世界的となった今日の我々のレッスンとして、必らず見ておかなければならないものであると思う。
 先頃キネマ倶楽部で上場されたチェーラル・シンワーラーの「ジャンダーク」は大評判の大写真で、別《わ》けてもその火刑《ひあぶり》の場は凄惨《せいさん》を極めて、近来の傑作たる場面であった。こういう大仕掛な金を掛けたものは、米国でなければ出来ぬフィルムである。時折|露西亜《ロシア》の写真も来るが、これ
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