我が宗教観
淡島寒月

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)椿岳《ちんがく》は

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)坐禅|三昧《ざんまい》に

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから3字下げ]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なアもうだ/\
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 御存じの通り私の父の椿岳《ちんがく》は何んでも好きで、少しずつかじって見る人でありました。で、芸術以外に宗教にも趣味を持って、殊にその内でも空也《くうや》は若い頃本山から吉阿弥の号を貰《もら》って、瓢《ひさご》を叩いては「なアもうだ/\」を唱えていた位に帰依《きえ》していたのでありました。それから後には神官を望んで、白服を着て烏帽子《えぼし》を被った時もありましたが、後にはまた禅は茶味禅味《ちゃみぜんみ》だといって、禅に凝《こ》った事もありました。或る時芝の青松寺へ行って、和尚《おしょう》に対面して話の末、禅の大意を聞いたら、火箸《ひばし》をとって火鉢の灰を叩いて、パッと灰を立たせ、和尚は傍《かたわら》の僧と相顧
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