しまいました。ところがかつて基督教に興味を持ってバイブルを読んでいましたから、外人の牧師とも話が合って、嘱望《しょくぼう》されてそれらの外人牧師と一緒に廃娼《はいしょう》問題を説いた事もありました。こんな具合でしたから高橋の本誓寺という寺の和尚などは、寒月氏が基督信者とはどういうわけだろう、といって不思議にしていましたが、自分のは豊公《ほうこう》がイエズス教に入って、それを仲介者として外国の智識を得たように、宗教そのものよりも、それに依《よ》って外人の趣味に接しようとして遣《や》るのです。かくして私はクリスチャンだったが、今日ではこういう意味で、どんな宗教にも遊びたいと思っています。いわば宗教を趣味の箱に入れてしまうと同じです。それ故マホメット教もバラモン教も、ジャイナ教もいずれも面白いと思います。私のは宗教を信ずるのでなくって味うのです。ラマヤナという宗教書の中に、ハンマンという猿の神様があって、尻尾《しっぽ》へ火を付けてボンベイとセイロンの間を走ったという話がありますが、そのハンマンなどいうものを見聞きする事などが楽しみだったり、面白いので、つまり宗教を通じて外国の趣味を感得したい
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