。あたかも野辺にさすらいて秋の月のさやかに照るをしみじみと眺め入る心持と或は似通えるか。さりとて矢も楯もたまらずお正の許に飛んで行くような激越の情は起らないのであった。
ただ会いたい。この世で今一度会いたい。縁あらば、せめて一度此世で会いたい。とのみ大友は思いつづけていた。何《なん》ぞその心根の哀しさや。会い度《た》くば幾度《いくたび》にても逢《あえ》る、又た逢える筈の情縁あらば如斯《こん》な哀しい情緒《おもい》は起らぬものである。別れたる、離れたる親子、兄弟、夫婦、朋友、恋人の仲間《あいだ》の、逢いたき情《おもい》とは全然《まる》で異《ちが》っている、「縁あらばこの世で今一度会いたい」との願いの深い哀しみは常に大友の心に潜んでいたのである。
或夜大友は二三の友と会食して酒のやや廻った時、斯ういう事を言ったことがある「僕の知っている女でお正さんというのがあるが、容貌《きりょう》は十人並で、ただ愛嬌のある女というに過《すぎ》ないけれど、如何にも柔和な、どちらかと言えば今少しはハキハキしてもと思わるる程の性分で何処《どこ》までも正直な、同情《おもいやり》の深そうな娘である。肉づきまでが
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