庭先で「左様なら」と挨拶して此方《こちら》へ来る女がある、その声が如何《いか》にもお正《しょう》に似ているように思われ、つい立ちどまって居《お》ると、往来へ出て月の光を正面《まとも》に向《う》けた顔は確かにお正《しょう》である。
「お正《しょう》さん」大友は思わず叫んだ。
「大友さんでしょう、」と意外にもお正《しょう》は平気で傍へ来たので、
「貴女は僕が来て居るのを知っていたのですか」と驚いて問うた。
「も少し上の方へのぼりながらお話しましょうか。」とお正は小声にて言う。
「貴女さえかまわなければ。」
「私はちっとも、かまいませんの。」
それではと前年の如く寄添うて、渓《たに》をのぼる。
「真実《ほんと》に妙な御縁なのですよ、私は今日、身の上に就《つい》て兄に相談があるので、突然《だしぬけ》に参りますと、妹が小声で大友さんが来宿《みえ》てるというのでしょう、……」
「それじゃア貴女は僕より一汽車後で来たのだ。」
「そうなの。それで今夜はごたごたして居るから明日お目にかかる積りでいましたの。」
さて大友はお正《しょう》に会ったけれど、そして忘れ得ぬ前年の夜《よ》と全然《まった》く同じ
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