かもの》の後ろ影をじっと見送って、そして阿蘇の噴煙を見あげた。「忘れ得ぬ人々」の一人はすなわちこの壮漢《わかもの》である。
『その次は四国の三津が浜に一泊して汽船|便《びん》を待った時のことであった。夏の初めと記憶しているが僕は朝早く旅宿《やど》を出て汽船の来るのは午後と聞いたのでこの港の浜や町を散歩した。奥に松山を控えているだけこの港の繁盛《はんじょう》は格別で、分けても朝は魚市《うおいち》が立つので魚市場の近傍の雑踏は非常なものであった。大空は名残《なごり》なく晴れて朝日|麗《うらら》かに輝き、光る物には反射を与え、色あるものには光を添えて雑踏の光景をさらに殷々《にぎにぎ》しくしていた。叫ぶもの呼ぶもの、笑声|嬉々《きき》としてここに起これば、歓呼|怒罵《どば》乱れてかしこにわくというありさまで、売るもの買うもの、老若男女《ろうにゃくなんにょ》、いずれも忙しそうにおもしろそうにうれしそうに、駆けたり追ったりしている。露店《ろてん》が並んで立ち食いの客を待っている。売っている品《もの》は言わずもがなで、食ってる人は大概|船頭《せんどう》船方《ふなかた》の類《たぐい》にきまっている。鯛《たい》や比良目《ひらめ》や海鰻《あなご》や章魚《たこ》が、そこらに投げ出してある。なまぐさい臭《にお》いが人々の立ち騒ぐ袖《そで》や裾《すそ》にあおられて鼻を打つ。
『僕は全くの旅客《りょかく》でこの土地には縁もゆかりもない身だから、知る顔もなければ見覚えの禿《は》げ頭もない。そこで何となくこれらの光景が異様な感を起こさせて、世のさまを一段|鮮《あざ》やかにながめるような心地がした。僕はほとんど自己《おのれ》をわすれてこの雑踏の中《うち》をぶらぶらと歩き、やや物静かなる街《ちまた》の一端《はし》に出た。
『するとすぐ僕の耳に入ったのは琵琶《びわ》の音《ね》であった。そこの店先に一人の琵琶僧が立っていた。歳《とし》のころ四十を五ツ六ツも越えたらしく、幅の広い四角な顔の丈《たけ》の低い肥えた漢子《おとこ》であった。その顔の色、その目の光はちょうど悲しげな琵琶の音にふさわしく、あの咽《むせ》ぶような糸の音につれて謡《うた》う声が沈んで濁って淀《よど》んでいた。巷《ちまた》の人は一人もこの僧を顧みない、家々の者はたれもこの琵琶に耳を傾けるふうも見せない。朝日は輝く浮世はせわしい。
『しかし僕
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