席に招かれた一人二人に途《みち》で逢《あ》った。逢う度《たび》毎《ごと》に皆《みん》な知る人であるから二言三言の挨拶《あいさつ》はしたが、可い心持はしなかった。
富岡の門まで行ってみると門は閉《しま》って、内は寂然《ひっそり》としていた。校長は不審に思ったが門を叩《たた》く程の用事もないから、其処《そこ》らを、物思に沈みながらぶらぶらしていると間もなく老僕倉蔵が田甫道を大急ぎで遣《やっ》て来た。
「オイ倉蔵、先生は最早《もう》お寝《やす》みになったのかね?」
「オヤ! 細川先生、老先生は今東京へお出発《たち》になりました!」と呼吸《いき》をはずまして老僕は細川の前へ突立った。
「東京へ※[#疑問符感嘆符、1−8−77]」細川は声も喉《のど》に塞《つま》ったらしい。
「ハア東京へ!」
「マアどうしたのだろう! お梅さんは?」
「御一緒に」
「マアどうしたのだろう!」校長は喫驚《びっくり》すると共に、何とも言い難き苦悩が胸を圧《あっ》して来た。心も空に、気が気ではない。倉蔵は門を開けながら
「マアお入りなされの」
校長は後について門を入り縁先に腰をかけたが、それも殆《ほとん》ど夢中であったらしい。
「マア先生は何にも知らないのかね?」
「乃公《わし》が何を知るものか、今日釣に行っていたが老先生は何にも言わんからの」
「そうかの?」と倉蔵は不審な顔色《かおつき》をして煙草を吸い初めた。
「貴公《おまえ》理由《わけ》を知らんかね?」
「私《わし》唯《た》だ倉蔵これを急いで村長の処《とこ》へ持て行けと命令《いいつか》りましたからその手紙を村長さん処《とこ》へ持て行って帰宅《かえっ》てみると最早《もう》仕度《したく》が出来ていて、私《わし》直ぐ停車場まで送って今帰った処《とこ》じゃがの、何知るもんかヨ」
「フーン」と校長考えていたが「何日《いつ》頃|帰国《かえ》ると言われた?」
「老先生は十日ばかりしたら帰る、それも能《よ》くは解らんちゅうて……」
「そうか……」と校長は嘆息《ためいき》をしていたが、
「また来る」と細川は突然富岡を出て、その足で直ぐ村長を訪うた。村長は四十|何歳《いくつ》という分別盛りの男で村には非常な信用があり財産もあり、校長は何時《いつ》もこの人を相談相手にしているのである。
「貴公《あんた》富岡先生が東京へ行った事を知っているか」と校長細川は坐に着くや着かぬに問いかけた。
「知っているとも、先刻《さっき》倉蔵が先生の手紙を持って来たが、不在中家の事を托《たの》むと書いてあった」と村長は夜具から頭ばかり出して話している。大津の婚礼に招ねかれたが風邪《かぜ》をひいて出ることが出来ず、寝ていたのである。
「どういう理由《わけ》で急に上京したのだろう?」
「そんな理由《わけ》は手紙に書いてなかったが、大概想像が着くじゃアないか」と村長は微笑を帯びて細川の顔をじろじろ見ながら言った。彼は細川が梅子に人知れず思を焦がしていることを観破《みぬい》ていたのである。
「私《わし》には解《げ》せんなア」と校長は嘆息《ためいき》を吐《つ》いた。
「解せるじゃアないか、大津が黒田のお玉さんと結婚しただろう、富岡先生少し当《あて》が外《はず》れたのサ、其処《そこ》で宜《よろ》しい此処《こっち》にもその積《つもり》があるとお梅|嬢《さん》を連れて東京へ行って江藤侯や井下《いのした》伯を押廻わしてオイ井下、娘を頼む位なことだろうヨ」
「そうかしらん?」
「そうとも! それに先生は平常《ふだん》から高山々々と讃《ほ》めちぎっていたから多分井下伯に言ってお梅|嬢《さん》を高山に押付ける積りだろう、可《い》いサ高山もお梅|嬢《さん》なら兼て狙《ねら》っていたのだから」
「そうかしらん?」と細川の声は慄《ふる》えている。
「そうとも! それで大津の鼻をあかしてやろうと言うんだろう、可いサ、先生も最早《もう》あれで余程《よほど》老衰《よわっ》て御坐るから早くお梅|嬢《さん》のことを決定《きめ》たら肩が安まって安心して死ねるだろうから」
村長は理の当然を平気で語った。一つには細川に早く思いあきらめさしたい積りで。
「全くそうだ、先生も如彼《ああ》見えても長くはあるまい!」と力なさそうに言って校長は間もなく村長の宅《うち》を辞した。
憐《あわれ》むべし細川繁! 彼は全く失望して了って。その失望の中には一《いつ》の苦悩が雑《まじ》っておる。彼は「我もし学士ならば」という一念を去ることが出来ない。幼時は小学校に於《おい》て大津も高山も長谷川も凌《しの》いでいた、富岡の塾でも一番出来が可《よ》かった、先生は常に自分を最も愛して御坐った、然るに自分は家計の都合で中学校にも入《い》る事が出来ず、遂に官費で事が足りる師範学校に入って卒業して小学教員となった。天分に於ては決して彼等|二三子《にさんし》には、劣らないが今では富岡先生すら何とかかんとか言っても矢張り自分よりか大津や高山を非常に優《まさ》った者のように思ってお梅|嬢《さん》に熨斗《のし》を附けようとする! 残念なことだと彼は恋の失望の外の言い難き恨を呑《の》まなければならぬこととなった。
然し彼は資性篤実で又能く物に堪《た》え得る人物であったから、この苦悩の為めに校長の職務《つとめ》を怠るようなことは為《し》ない。平常《いつも》のように平気の顔で五六人の教師の上に立ち数《す》百の児童を導びいていたが、暗愁の影は何処《どこ》となく彼に伴うている。
二
富岡先生が突然上京してから一週間目のことであった、先生は梅子を伴うて帰国《かえ》って来た。校長細川は「今|帰国《かえ》ったから今夜遊びに来い」との老先生の手紙を読んだ時には思わず四辺《あたり》を見廻わした。
自分勝手な空想を描きながら急いで往《い》ってみると、村長は最早《もう》座に居て酒が初まっていた。梅子は例の如く笑味《えみ》を含んで老父の酌をしている。
「ヤ細川! 突如《だしぬけ》に出発《たった》ので驚いたろう、何急に東京を娘に見せたくなってのう。十日ばかりも居る積じゃったが癪《しゃく》に触《さわ》ることばかりだったから三日居て出立《たっ》て了《しま》った。今も話しているところじゃが東京に居る故国《くに》の者は皆《みん》なだめだぞ、碌《ろく》な奴《やつ》は一匹も居《お》らんぞ!」
校長は全然《まるで》何のことだか、煙に捲《ま》かれて了って言うべき言葉が出ない、ただ富岡先生と村長の顔を見比べているばかりである。村長は怪しげな微笑を口元に浮べている。
「エえまア聞いてくれこうだ、乃公《おれ》は娘を連れて井下|聞吉《ぶんきち》の所へも江藤三輔の所へも行った、エえ、故国《くに》からわざわざ乃公《おれ》が久しぶりに娘まで連れて行ったのだから何とか物の言い方も有ろうじゃア、それを何だ! 侯爵顔《こうしゃくづら》や伯爵顔を遠慮なくさらけ[#「さらけ」に傍点]出してその※[#「傲」の「にんべん」に代えて「りっしんべん」、第4水準2−12−67]慢無礼《ごうまんぶれい》な風たら無かった。乃公もグイと癪に触ったから半時も居らんでずんずん宿へ帰《もど》ってやった」と一杯|一呼吸《ひといき》に飲み干して校長に差し、
「それも彼奴《きゃつ》等の癖だからまア可《え》えわ、辛棒出来んのは高山や長谷川の奴らの様子だ、オイ細川、彼等《きゃつら》全然《まる》でだめだぞ、大津と同じことだぞ、生意気で猪小才《ちょこざい》で高慢な顔をして、小官吏《こやくにん》になればああも増長されるものかと乃公も愛憎《あいそ》が尽きて了《しも》うた。業《ごう》が煮えて堪《たま》らんから乃公は直ぐ帰国《かえ》ろうと支度《したく》を為ているとちょうど高山がやって来て驚いた顔をしてこう言うのだ、折角連れて来たのだから娘だけは井下伯にでも托《あず》けたらどうだろう、井下伯もせめて娘だけでも世話をしてやらんと富岡が可憐《かわい》そうだと言ッて、大変乃公を気の毒がっていたとこう言うじゃアないか、乃公は直然《いきなり》彼奴《きゃつ》の頭をぽかり一本参ってやった、何だ貴様まで乃公を可憐そうだとか何とか思っているのか、そんな積りで娘を托けると言うのか、大馬鹿者! と怒鳴つけてくれた」
「そして高山はどうしました」と校長は僅《わず》かに一語を発した。
「どうするものか真赤な顔をして逃げて去《い》って了うた、それから直ぐ東京を出発《たっ》て何処《どこ》へも寄らんでずんずん帰《もど》って来た」
「それは無益《つまり》ませんでしたね、折角おいでになって」と校長はおずおずしながら言った。
先生の気焔《きえん》は益々《ますます》昂《たか》まって、例の昔日譚《むかしばなし》が出て、今の侯伯子男を片端《かたっぱし》から罵倒《ばとう》し初めたが、村長は折を見て辞し去った。校長は先生が喋舌《しゃべ》り疲《くた》ぶれ酔《え》い倒れるまで辛棒して気※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《きえん》の的となっていた。帰える時梅子は玄関まで送って出たが校長何となくにこつ[#「にこつ」に傍点]いていた。田甫道に出るや、彼はこの数日《すじつ》の重荷が急に軽くなったかのように、いそいそと路《みち》を歩いたが、我家に着くまで殆《ほとん》ど路をどう来たのか解らなんだ。
三
その翌々日の事であった、東京なる高山法学士から一|通《つう》の書状《てがみ》が村長の許《もと》に届いた。その文意は次の如くである。
富岡先生が折角上京されたと思うと突然帰国された、それに就《つい》て自分は大に胸を痛めている、先生は相変らず偏執《ひねくれ》ておられる。我々は勿論《もちろん》先輩諸氏も決して先生を冷遇するのではないが先生の方で勝手にそう決定《きめ》て怒っておられる、実に困った者で手の着けようがない。実は自分は梅子|嬢《さん》を貰《もら》いたいと兼ねて思っていたのであるから、井下伯に頼んで梅子|嬢《さん》だけ滞《と》めて置いて後《あと》から交渉して貰う積りでいた、然るに先生の突然の帰国でその計画も画餅《がべい》になったが残念でならぬ。自分は容貌《ようぼう》の上のみで梅子|嬢《さん》を思うているのでない、御存知の通り実に近頃の若い女子には稀《まれ》に見るところの美しい性質を以《もっ》ておられる、自分は随分東京で種々の令嬢方を見たが梅子|嬢《さん》ほどの癖のない、すらりとした、すなおなる女を見たことはない。女子の特質とも言うべき柔和な穏やかな何処《どこ》までも優《やさ》しいところを梅子|嬢《さん》は十二分に有《もっ》ておられる。これには貴所《あなた》も御同感と信ずる。もし梅子|嬢《さん》の欠点を言えば剛という分子が少ない事であろう、しかし完全無欠の人間を求めるのは求める方が愚である、女子としては梅子|嬢《さん》の如き寧《むし》ろ完全に近いと言って宜《よろ》しい、或《あるい》は剛の分子の少ないところが却《かえっ》て梅子|嬢《さん》の品性に一段の奥ゆかしさを加えておるのかとも自分は思う。自分は決して浮きたる心でなく真面目《まじめ》にこの少女を敬慕しておる、何卒《どう》か貴所《あなた》も自分のため一臂《いっぴ》の力を借して、老先生の方を甘《うま》く説いて貰いたい、あの老人程|舵《かじ》の取り難《にく》い人はないから貴所が其所《そこ》を巧にやってくれるなら此方《こっち》は又井下伯に頼んで十分の手順をする、何卒か宜しく御頼《おたのみ》します。
但《ただ》し富岡老人に話されるには余程《よほど》よき機会《おり》を見て貰いたい、無暗《むやみ》に急ぐと却て失敗する、この辺は貴所に於《おい》て決して遺漏《ぬかり》はないと信ずるが、元来老先生といえども人並の性情を有っておるから了解《わか》ることは能く了解る人である。ただその資質に一点我慢強いところのある上に、維新の際妙な行きがかりから脇道《わきみち》へそれて遂に成るべき功名をも成し得ず、同輩は侯伯たり後進は子男たり、自分は田舎《いなか》の老先生たるを見、かつ思う毎《ごと》にその
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