るほど床に就いていたが、意外なのは暫時《しばら》く会《あわ》ぬ中に全然《すっかり》元気が衰えたことである、元気が衰えたと云うよりか殆ど我が折れて了って貴所の所謂《いわゆ》る富岡氏、極く世間並の物の能く通暁《わかっ》た老人に為《な》って了ったことである、更に意外なのは拙者の訪問をひどく喜こんで実は招《よ》びにやろうかと思っていたところだとのことである。それから段々話しているうちに老人は死後のことに就き色々と拙者に依托《いたく》せられた、その様子が死期の遠からぬを知っておらるるようで拙者も思わず涙を呑《の》んだ位であった、其処《そこ》で貴所の一条を持出すに又とない機会《おり》と思い既に口を切ろうとすると、意外も意外、老人の方から梅子|嬢《さん》のことを言い出した。それはこうで、娘は細川繁に配する積りである、細川からも望まれている、私《わし》も初は進まなかったが考えてみると娘の為め細川の為め至極良縁だと思う、何卒《どう》か貴所《あなた》その媒酌者《なこうど》になってくれまいかとの言葉。胸に例の一条が在る拙者は言句《ごんく》に塞《つま》って了った、然し直ぐ思い返してこの依頼を快く承諾した。
と云うのは、貴所に対して済ぬようだが、細川が先に申込み老人が既に承知した上は、最早《もはや》貴所の希望は破れたのである、拙者とても致し方がない。更に深く考えてみると、この縁は貴所の申込が好し先であってもそれは成就せず矢張、細川繁の成功に終わるようになっていたのである、と拙者は信ずるその理由は一に貴所の推測に任かす、富岡先生を十分に知っている貴所には直ぐ解るであろう。
かつ拙者は貴所の希望の成就を欲する如く細川の熱望の達することを願う、これに就き少も偏頗《へんぱ》な情《こころ》を持ていない。貴所といえども既に細川の希望が達したと決定《きま》れば細川の為めに喜こばれるであろう。又梅子|嬢《さん》の為にも、喜ばれるであろう。
そして拙者の見たところでは梅子|嬢《さん》もまた細川に嫁《か》することを喜こんでいるようである。
これが良縁でなくてどうしよう。
拙者が媒酌者《なこうど》を承諾するや直ぐ細川を呼びにやった、細川は直ぐ来た、其処《そこ》で梅子|嬢《さん》も一座し四人同席の上、老先生からあらためて細川に向い梅子|嬢《さん》を許すことを語られ又梅子|嬢《さん》の口から、父の処置に就いては少しも異議なく喜んで細川氏に嫁すべきを誓い、婚礼の日は老先生の言うがままに来《きたる》十月二十日と定めた。鬮《くじ》は遂に残者《のこりもの》に落ちた。
貴所からも無論老先生及細川に向て祝詞を送らるることと信ずる。
六
婚礼も目出度《めでた》く済んだ。田舎《いなか》は秋晴|拭《ぬぐ》うが如く、校長細川繁の庭では姉様冠《あねさまかぶり》の花嫁中腰になって張物をしている。
さて富岡先生は十一月の末|終《つい》にこの世を辞して何国《なにくに》は名物男一人を失なった。東京の大新聞二三種に黒枠《くろわく》二十行ばかりの大きな広告が出て門人高山文輔、親戚《しんせき》細川繁、友人野上子爵等の名がずらり並んだ。
同国の者はこの広告を見て「先生到頭死んだか」と直ぐ点頭《うなず》いたが新聞を見る多数は、何人なればかくも大きな広告を出すのかと怪むものもあり、全く気のつかぬ者もあり。
然しこの広告が富岡先生のこの世に放った最後の一喝《いっかつ》で不平満腹の先生がせめてもの遣悶《こころやり》を知人《ちじん》に由《よ》って洩《も》らされたのである。心ある同国人の二三はこれを見て泣いた。
底本:「牛肉と馬鈴薯」新潮文庫、新潮社
1970(昭和45年)年5月30日初版発行
1983(昭和58年)年7月30日22刷
入力:Nana Ohbe
校正:門田裕志、小林繁雄
2004年6月1日作成
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