差し、
「それも彼奴《きゃつ》等の癖だからまア可《え》えわ、辛棒出来んのは高山や長谷川の奴らの様子だ、オイ細川、彼等《きゃつら》全然《まる》でだめだぞ、大津と同じことだぞ、生意気で猪小才《ちょこざい》で高慢な顔をして、小官吏《こやくにん》になればああも増長されるものかと乃公も愛憎《あいそ》が尽きて了《しも》うた。業《ごう》が煮えて堪《たま》らんから乃公は直ぐ帰国《かえ》ろうと支度《したく》を為ているとちょうど高山がやって来て驚いた顔をしてこう言うのだ、折角連れて来たのだから娘だけは井下伯にでも托《あず》けたらどうだろう、井下伯もせめて娘だけでも世話をしてやらんと富岡が可憐《かわい》そうだと言ッて、大変乃公を気の毒がっていたとこう言うじゃアないか、乃公は直然《いきなり》彼奴《きゃつ》の頭をぽかり一本参ってやった、何だ貴様まで乃公を可憐そうだとか何とか思っているのか、そんな積りで娘を托けると言うのか、大馬鹿者! と怒鳴つけてくれた」
「そして高山はどうしました」と校長は僅《わず》かに一語を発した。
「どうするものか真赤な顔をして逃げて去《い》って了うた、それから直ぐ東京を出発《たっ》て何処《どこ》へも寄らんでずんずん帰《もど》って来た」
「それは無益《つまり》ませんでしたね、折角おいでになって」と校長はおずおずしながら言った。
 先生の気焔《きえん》は益々《ますます》昂《たか》まって、例の昔日譚《むかしばなし》が出て、今の侯伯子男を片端《かたっぱし》から罵倒《ばとう》し初めたが、村長は折を見て辞し去った。校長は先生が喋舌《しゃべ》り疲《くた》ぶれ酔《え》い倒れるまで辛棒して気※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《きえん》の的となっていた。帰える時梅子は玄関まで送って出たが校長何となくにこつ[#「にこつ」に傍点]いていた。田甫道に出るや、彼はこの数日《すじつ》の重荷が急に軽くなったかのように、いそいそと路《みち》を歩いたが、我家に着くまで殆《ほとん》ど路をどう来たのか解らなんだ。

        三

 その翌々日の事であった、東京なる高山法学士から一|通《つう》の書状《てがみ》が村長の許《もと》に届いた。その文意は次の如くである。
 富岡先生が折角上京されたと思うと突然帰国された、それに就《つい》て自分は大に胸を痛めている、先生は相変らず偏執《ひねくれ》ておられる。我々は勿論《もちろん》先輩諸氏も決して先生を冷遇するのではないが先生の方で勝手にそう決定《きめ》て怒っておられる、実に困った者で手の着けようがない。実は自分は梅子|嬢《さん》を貰《もら》いたいと兼ねて思っていたのであるから、井下伯に頼んで梅子|嬢《さん》だけ滞《と》めて置いて後《あと》から交渉して貰う積りでいた、然るに先生の突然の帰国でその計画も画餅《がべい》になったが残念でならぬ。自分は容貌《ようぼう》の上のみで梅子|嬢《さん》を思うているのでない、御存知の通り実に近頃の若い女子には稀《まれ》に見るところの美しい性質を以《もっ》ておられる、自分は随分東京で種々の令嬢方を見たが梅子|嬢《さん》ほどの癖のない、すらりとした、すなおなる女を見たことはない。女子の特質とも言うべき柔和な穏やかな何処《どこ》までも優《やさ》しいところを梅子|嬢《さん》は十二分に有《もっ》ておられる。これには貴所《あなた》も御同感と信ずる。もし梅子|嬢《さん》の欠点を言えば剛という分子が少ない事であろう、しかし完全無欠の人間を求めるのは求める方が愚である、女子としては梅子|嬢《さん》の如き寧《むし》ろ完全に近いと言って宜《よろ》しい、或《あるい》は剛の分子の少ないところが却《かえっ》て梅子|嬢《さん》の品性に一段の奥ゆかしさを加えておるのかとも自分は思う。自分は決して浮きたる心でなく真面目《まじめ》にこの少女を敬慕しておる、何卒《どう》か貴所《あなた》も自分のため一臂《いっぴ》の力を借して、老先生の方を甘《うま》く説いて貰いたい、あの老人程|舵《かじ》の取り難《にく》い人はないから貴所が其所《そこ》を巧にやってくれるなら此方《こっち》は又井下伯に頼んで十分の手順をする、何卒か宜しく御頼《おたのみ》します。
 但《ただ》し富岡老人に話されるには余程《よほど》よき機会《おり》を見て貰いたい、無暗《むやみ》に急ぐと却て失敗する、この辺は貴所に於《おい》て決して遺漏《ぬかり》はないと信ずるが、元来老先生といえども人並の性情を有っておるから了解《わか》ることは能く了解る人である。ただその資質に一点我慢強いところのある上に、維新の際妙な行きがかりから脇道《わきみち》へそれて遂に成るべき功名をも成し得ず、同輩は侯伯たり後進は子男たり、自分は田舎《いなか》の老先生たるを見、かつ思う毎《ごと》にその
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