るほど床に就いていたが、意外なのは暫時《しばら》く会《あわ》ぬ中に全然《すっかり》元気が衰えたことである、元気が衰えたと云うよりか殆ど我が折れて了って貴所の所謂《いわゆ》る富岡氏、極く世間並の物の能く通暁《わかっ》た老人に為《な》って了ったことである、更に意外なのは拙者の訪問をひどく喜こんで実は招《よ》びにやろうかと思っていたところだとのことである。それから段々話しているうちに老人は死後のことに就き色々と拙者に依托《いたく》せられた、その様子が死期の遠からぬを知っておらるるようで拙者も思わず涙を呑《の》んだ位であった、其処《そこ》で貴所の一条を持出すに又とない機会《おり》と思い既に口を切ろうとすると、意外も意外、老人の方から梅子|嬢《さん》のことを言い出した。それはこうで、娘は細川繁に配する積りである、細川からも望まれている、私《わし》も初は進まなかったが考えてみると娘の為め細川の為め至極良縁だと思う、何卒《どう》か貴所《あなた》その媒酌者《なこうど》になってくれまいかとの言葉。胸に例の一条が在る拙者は言句《ごんく》に塞《つま》って了った、然し直ぐ思い返してこの依頼を快く承諾した。
 と云うのは、貴所に対して済ぬようだが、細川が先に申込み老人が既に承知した上は、最早《もはや》貴所の希望は破れたのである、拙者とても致し方がない。更に深く考えてみると、この縁は貴所の申込が好し先であってもそれは成就せず矢張、細川繁の成功に終わるようになっていたのである、と拙者は信ずるその理由は一に貴所の推測に任かす、富岡先生を十分に知っている貴所には直ぐ解るであろう。
 かつ拙者は貴所の希望の成就を欲する如く細川の熱望の達することを願う、これに就き少も偏頗《へんぱ》な情《こころ》を持ていない。貴所といえども既に細川の希望が達したと決定《きま》れば細川の為めに喜こばれるであろう。又梅子|嬢《さん》の為にも、喜ばれるであろう。
 そして拙者の見たところでは梅子|嬢《さん》もまた細川に嫁《か》することを喜こんでいるようである。
 これが良縁でなくてどうしよう。
 拙者が媒酌者《なこうど》を承諾するや直ぐ細川を呼びにやった、細川は直ぐ来た、其処《そこ》で梅子|嬢《さん》も一座し四人同席の上、老先生からあらためて細川に向い梅子|嬢《さん》を許すことを語られ又梅子|嬢《さん》の口から、父の処置に就い
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