この老人の心中に戦かっておるとのお言葉が有った、実にその通りで拙者も左様思っていた、然るにちょうど御手紙を頂いた時分以来は、所謂《いわゆ》る富岡先生の暴力|益々《ますます》つのり、二六時中富岡氏の顔出《かおだし》する時は全く無かったと言って宜《よろ》しい位、恐らく夢の中《うち》にも富岡先生は荒《あば》れ廻っていただろうと思われる。
これには理由《わけ》があるので、この秋の初に富岡老人の突然上京せられたるのは全く梅子|嬢《さん》を貴所《あなた》に貰わす目算であったらしい、拙者はそう鑑定している、ところが富岡先生には「東京」が何より禁物なので、東京にゆけば是非、江藤侯井下伯その他|故郷《くに》の先輩の堂々たる有様を見聞せぬわけにはいかぬ、富岡先生に取ってはこれ則《すなわ》ち不平、頑固《がんこ》、偏屈の源因《げんいん》であるから、忽《たちま》ち青筋を立てて了って、的《あて》にしていた貴所《あなた》の挙動《ふるまい》すらも疳癪《かんしゃく》の種となり、遂《つい》に自分で立てた目的を自分で打壊《たたきこわ》して帰国《かえ》って了われたものと拙者は信ずる、然るに帰国って考えてみると梅子|嬢《さん》の為めに老人の描いていた希望は殆《ほと》んど空《くう》になって了った。先生何が何やら解らなくなって了った。其所《そこ》で疳《かん》は益々起る、自暴《やけ》にはなる、酒量は急に増す、気は益々狂う、真《まこと》に言うも気の毒な浅ましい有様となられたのである、と拙者は信ずる。
現に拙者が貴所《あなた》の希望に就き先生を訪うた日などは、先生の梅子|嬢《さん》を罵《ののし》る大声《たいせい》が門の外まで聞えた位で、拙者は機会《おり》悪《わる》しと見、直《ただち》に引返えしたが、倉蔵の話に依ればその頃先生はあの秘蔵子なるあの温順なる梅子|嬢《さん》をすら頭ごなしに叱飛《しかりとば》していたとのことである、以て先生の様子を想像したまわば貴所も意外の感あることと思う。
拙者ばかりでなくこういう風であるから無論富岡を訪《たず》ねる者は滅多になかった、ただ一人、御存知の細川繁氏のみは殆ど毎晩のように訪ねて怒鳴られながらも慰めていたらしい。
然るに昨夕《さくせき》のこと富岡老人近頃|病床《とこ》にある由《よし》を聞いたから見舞に出かけた、もし機会《おり》が可かったら貴所の一条を持出す積りで。老人はな
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